作る曲と聴く曲、更に歌う曲でそれぞれ志向・嗜好が異なるのはHikaruも最初から自覚している事で、今更こちらが言う事ではないのだが、こうしてラジオという媒体での活動が新たに(あらためて)加わる事で、リスナーとしては少々バランスが変わる。
世の中にはその人が自身のいちばんのファン、という人も居る。あれだけ多忙の中帰宅して自分の出演番組の録画を観て自画自賛する明石家さんまなどはわかりやすい例だが、Hikaruはそうではない。リラックスしたい時は、それこそスティングやブルース・スプリングスティーンの曲を聴いたりするだろう。そして、ラジオで流れるのはそういう曲である。さんまがラジオではないけれどお勧めのテレビ番組を紹介する番組をやったら自分の出演番組を推すだろうが、Hikaruはやっと最後に自分の歌を流して2番が終わらないうちにフェイドアウトである。
しかしお陰で、僕らはリスナー・宇多田ヒカルを知る事が出来る。作曲家としての側面もちらちら垣間見せてはいるものの、基本は音楽の消費者としての態度である。この場合、何故彼女のラジオを聴こうと思ったのか、個々の理由の差異を訊いて印象がどう変わったかちょっと教えて欲しいかなと思ったりもする。
ここを読んでるような人は「宇多田ヒカルとつけば何でも」という姿勢の人が多いだろうから、わざわざコンポーザーだからリスナーだからという区別もする必要がなく、ありのまんまを喰らい尽くせばいいだけなので難しく考える必要はない。しかし、彼女の創造する音楽にのみ注目している人にとっては「リスナー・Utada Hikaru」は違う人である。そのギャップに慣れれば、ラジオも素直に楽しむ事が出来るだろう。
しかし、いちばん大きなギャップを感じるのは、彼女の人柄に惹かれてここに居る向きかもしれない。そもそも音楽番組というだけでそんなに居心地がよくないのに、その上大半が洋楽で英語の歌とあっては、どうにもどうやらとっつきにくい。それでもヒカルちゃんが楽しそうに喋っているからいいかなぁ、と納得できればかなりの上級者だが、そう考えるとやっぱり日々の何気ない呟きは大事だろうな、と思う。ラジオとTwitterと、両輪をぼちぼち回していく事が、人間活動中の最大限のサービスとなる。今思えば、期間限定予定だったんだよなぁ…有り難い話やでホンマ…。