無意識日記々

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Political Pop Music

「最近の若者の政治的志向に偏りがみられる事が懸念される」と識者さんたちが言っているようだが、それは実は話の順序が違うように思われる。私が眺めてきた風景によると、志向・思想の中身(偏り)がどんな風であるかは直接には関係しない。最も大きいのは、その"最近の若者"たちが、小さい頃からどのメディアを通じて政治的志向を学んできたか、という点だ。その点において先手を打っていた集団の志向と思想が、その"最近の若者"たちに支持されている。

即ち、大事なのは思想の中身ではなく、それを彼らに伝えるチャンネルを持ち実際に行動に移す事だ。前の世代は常にその点において冷笑的な立場をとり結果後に足元を掬われる、という構図が描かれる。それは、政治の世界に限らずどの業界でも起こる事だ。次の世代には黙ってても伝わらない。言ったもん勝ちである。

しかし、どの業界でも、とは言ったが、こういう現象はその伝達のチャンネルの質と、相手をする大衆のサイズによって性質が異なってくる。

例えば、同じ音楽業界でも、えぇっと私がいちばん詳しいのはHR/HMだからそれを例にとると、毎週(専門の)チャートの上位に上がってくるバンドの新作は、明らかに質が高い、調子がいい。つまり、現在のメタル・チャートは程度の差はあれど確実に"今現在の音楽の質"を反映している為、大変に参考になる。今説明してきた話と異なり、"中身"がその都度吟味されて支持率が変動しているのだ。

これと、邦楽のPopチャートと比較すると愕然とする。チャートと中身の相関が全くと言っていい程ない。逆からいえば、中身を知る為に参考にできるチャートが存在していない。これはまぁ根本的な機能不全ではあるけれども、未だにそれが使われているという事実は、如何に中身が関係ないか、アテにされていないかという事を如実に物語っているように思われる。

Utada Hikaruが今後も相手にするのは、専門チャートではなく、こちらの、最早音楽の目安としては機能しなくなったPopチャートの方なのである。そこでは、それこそ"政治的な駆け引き"に勝たなければ"勝利"の二文字はみえてこない。さてでは、Hikaruは復帰後どうすれば…という話からまた次回。