無意識日記々

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国と土地と言葉と

前回は国、という括りを意識して発言したが、どうにも感覚として大事なのは、まず、日本語を使っているかどうか、そして、価値観が共有できるかどうか、だろうか。

極端にいえば、同じ日本人より、地球の裏側に居るUtada Hikaruファンの方が気が合うかもしれないし、生涯に渡っての関わり具合も多いかもしれない。インターネットの存在がそれを可能にしている。

となると、ここでも話を飛躍させれば、Hikaruは、この国が窮屈になったら飛び出せばよい。あれ位の知名度があれば、それなりの文明国で就労するなり国籍をとる・亡命するのは可能な筈だ。ユニバーサル所属というのはこういう時に強い。今や、企業体というのは巨大化の一途を辿り、小国に匹敵する規模を持っていたりする。レコード業界では、UMGがその最有力だ。それはまぁいいんだけど。

つまり、何が言いたいかというと、たとえこの国で言論弾圧が始まったとしても、どこかもっと安全な国や地域で活動を続けると、日本語による表現であっても、その弾圧を逃れられる可能性がある、という話である。Utada Hikaruとして音楽活動を続けるのは、この国がおかしくなっても支障はない。

真に問題を抱えるのは、そう、勿論我々の方である。たとえHikaruが海外で日本語の歌を作っても、日本語でメッセージを発したとしても、果たして我々に届くかどうか。検閲というのはそういう事だ。今の大国について伝わってくる話。検索にひっかからないとか、アクセス禁止とか。そうなってくる。

ただの妄想の話だが、政治的な状況によっては、そう遠くない未来にそれが危惧される状況がやってくる。その時、Hikaruはどういう手段をとるか。コトは単純ではないが、この国に留まるか否かの選択は迫られるだろう。何しろ、「前世」が「ゼンセ」に変えられた事ですらギリギリの決断だった人なので、大幅な検閲が行われる国で活動を続けるとも思えない。そうなる前に政治的活動に手を染めるか、或いは、創作活動に専念し、国に拘らずにその時々で最適な環境を求めて移り住んでいくか。今んとこ後者な気がするが、いちばん平和なのは勿論、この国がそんな風にならない事だ。これからも当欄では政治的な話題を取り上げる機会は少ないだろうが、表現の自由の確保にだけは、こだわり続けたいと思う。でないと、結構あっさりHikaruは、この国から身を引いてしまうかもしれないと思うから。でも日本という土地から離れても、日本語という言語から離れるのは容易ではないかもしれないな…という話からまた次回。いや、話題変えようかな。あんまり楽しくないよね
、こういうの。