無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

ぽつん

今やあらゆるコンテンツは複合的だ。ただひとつの感覚―視覚のみ、聴覚のみといった提供の仕方は下火である。実際、ipodwalkmanといった元々音声再生機だったものが今ではiOSAndroidを載せて機能的にはもう何でも有りになっている。動画に写真に文章にゲームに…音楽はそのうちのいちコンテンツ、いやいちパーツに過ぎない。

こういう時代だからこそ、ヒカルには音楽のみで勝負して貰いたい、と言うのは我が儘が過ぎるだろうか。

ライブにしてもそうである。エンターテインメント産業が成熟していると言ってしまえばそれまでだがライティングや同期映像、衣装に3Dにダンスにアクロバットに…ステージは幾らでも極彩色に脚色できる。それで楽しいんだからいいんだけども。

そういう中でマイク一本、というのが格好良いのではないか。余程自信がないと務まらないが、ヒカルクラスのアーティストでそういうスタイルでライブが出来る人間は限られている。

勿論そういう試み自体は散見されている。しかし、なんというのだろう、今は「付録」「付加価値」が多すぎる。ビックリマンチョコ投票権付きCDも同じだが、そして、付録・おまけの方がメインになってゆく。それ自体は悪い事でもなんでもないのだけれど、「お得感」ばかり演出して、あれ、真ん中は空っぽなの、という風にはなっている。

ヒカルは、逆をいくべきではないか。リリースもライブも「たったこれだけ」だけを提示してそれでいけないものか。梶さんからすれば「それじゃ俺達のする事がなくなる」になっちゃうんだけど、その肥大化が本来いびつなのだという所まで立ち戻るのは吝かでもないんじゃないかな。

純粋主義過ぎる、とは自分でも思う。一方で、受け取り手として、何か毎日情報の洪水に飲まれているから、シンプルでわかりやすい、「ああ、これだけなのか。そしていい。」というようなものに飢えているのかもしれない。あれやこれやとつく尾鰭を全部取っ払って、ただ「歌」だけが目の前にあったのなら。一息つけるような気がする。自分が息をしているのを思い出させてくれるかもしれない。