無意識日記々

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『誰にも言わない』の後に続く歌は何

ヒカルはきっと、あまり歌詞が行き過ぎないように気をつけている筈だ。歌詞が余りに先進的だったり急進的だったり進歩的だったりし過ぎるとリスナーたちから共感を呼ばない。『Time』や『ともだち』での同性愛を匂わせる歌詞も、20年前だったらやや早過ぎた。もっとも、12年前に『Prisoner Of Love』を歌ってんだけどね。でも、あの頃に『キスとその少し先まで』と歌えたかどうか微妙な所だ。──と書いてる筆者さんは普段百合漫画や百合小説ばかり読んでいるのでちょっと感覚がズレているかもわからず、先走り過ぎたり、逆に慎重になり過ぎたりしたりして微調整が難しいなぁと日々思ってたりもするのですがそれはそれとして。

『誰にも言わない』に関しては、どこがどうという訳ではないけれど、それこそ「少し先」を探っているように感じる。15年前の『Passion』のようにね。これくらいまで描いたとしてどこまで通じるのだろうか、という。その『Passion』も最後のパートが同性愛的な解釈が可能だねと喧々諤々だったけれども。懐かしい。まぁそれもそれとして。

『誰にも言わない』のサウンド・曲調に関しては、これはもう諦めてると言いますか。ハナからそんなに受け容れられないのは覚悟の上で布石を打っているというか。こういうのをどう“ポップに”回収していくかが宇多田ヒカルの毎度の見所だ。

そういう意味では、ヒカルは案外世相を睨んでいる。ヒカルくらいになったら「街に出る」とか必要ないんだろうかな。ニューヨークに居ようがロンドンに居ようが的確に日本の今の空気を読んでくれる。『Time』などは「売れる方」の曲で、ドラマのテイストにも今の日本の世相にも合っていた。アジャスト力は半端ではない。

ただ、『誰にも言わない』で実験した音作りと歌詞の世界観を“ポップに回収”してくるのは、もう何曲か先になるんじゃないかと勝手に思っている。例えば『Passion』などは、そこで試した感触を基にして『This Is Love』に繋げた感がある。そういう背景があるから『Utada United 2006』のオープニング1曲目2曲目は『Passion』〜『This Is Love』だったのだろう、と私は踏んでいる。あそこが音楽的に滑らかだったのは、音楽が出来た順だったからだと。

『Passion』から『This Is Love』までは約半年だった。『誰にも言わない』に関しては、“回収曲”が発表されるまで一年以上掛かるんじゃないのかな。でも、それでいい。というのも、『Passion』〜『This Is Love』と同じようにライブコンサートで繋げて披露する実際の機会は少なくとも再来年までは待たなくてはならないだろう、というのが目下の見立てであるからだ。焦る事も急ぐ事もないだろう。

『Laughter In The Dark Tour 2018』での『First Love』〜『初恋』や、『WILD LIFE 2010』での『First Love』〜『Flavor Of Life』など、ライブコンサートでの連続した二曲というのはヒカルの思いが強く込められているケースがある。ライブで『誰にも言わない』に続いて演奏される曲は果たして何になるのか。今のところ、私の目にはこの曲が最高傑作のひとつと映っているので、次に繋げて歌う曲があるとすれば『ぼくはくま』くらいで、まぁ現実的には“MC”が妥当だろうかなと。仕切り直しだね。それを覆すような曲が出来れば……それは次の次のアルバムの柱になる、のかな。はてさて、ヒカルさんの創造性と歩幅の合わせ方は、今どれくらいの所にあるのやら。足元の写真を見せてくれる度に、その歩みの行く先を想像させられるのでした。