無意識日記々

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私なりのセーブポイント

ツアーとアルバムに対しては、出来るだけテンションを上げないようにしている。

確かに、『遠足前夜は必ず寝不足』というように、大きなイベントというのは当日までのあれやこれやが楽しかったりする。期待に胸を膨らませて過ごす日々は…単純に楽しい。それを齎すからライブコンサート/フェスティバルは人気が高いのだ。いつでもどこでも楽しめる配信コンテンツとは対極にある「その日その場限り」に向かっていく充実。また、終わった後の語らいや新たな交流。その前後総てひっくるめて「ツアーの楽しみ」なのだ。

それは重々承知した上で言う。それでも、いやそれだからこそピークはライブ当日当晩当地であって欲しい。前後が楽しめたのだから当日の出来がまずまずでもまぁいいんじゃないのとはなりたくない。その日にいちばんの感動を与えて貰わなくては本末転倒である。故に、興奮な言動はその日までとっておきたい。感情に任せて今からヒカルのコンサートへの期待感を綴り始めると、当夜の感想を書く時に日本語が足りなくなる。これは確実、確定事項だ。

それはまさに期待の裏返しそのもの。今までの実績や目下の新曲群を聴けばライブコンサートがとんでもない出来になるのは想像に難くない。今から妄想全開で如何にヒカルの生歌声が素晴らしいか語りたてる事も出来るし実際に語るだろう(こやつなら)。でも出来るだけ抑えておきたい。まだ音は鳴っていない。歌も鳴り響いていない。宇多田ヒカルに虚像や偶像は似合わない。「グレイトな歌を歌う人」という実像を十二夜に渡って体現して欲しい。「平成を飾る初恋十二夜」を成して初めて、こちらからは最大限の賛辞を送りたい。それまでに日本語を使い切ってしまう訳にはいかない。

セーブすると言っても筆致を緩める訳ではない。既に鳴った音、今鳴っている音に対して書く割合を増やすというだけである。自分もここのいち読者として、十一月の日々へ向けての心構えを積み重ねていった方が自らの心境に合っている気がするが、そこをほんわりと制御するのがちょっと楽しみでもある。

それに、油断はしていない。死者のチケットを買った事だってある。ライブコンサートが無事開催されるとは限らない。勿論、実際の言動はより高い確率の方にベットされていくのだが、様々な可能性は視野の端にそのままある。なのでひとまず、出た歌、放たれた新曲に目を向け耳を傾けよう。それについて口にしよう。

アルバムに関しても同様だ。既出曲だけで名盤確定ではあるが、いや、だからこそ聴いてどう感じたかが大事である。リリースは嬉しいが、今から騒がなくてもいいだろう。そんな優先順位なのだ今は。