無意識日記々

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日本の夏、エヴァンゲリオンの夏

去年も同じ事を書いたと思うがこの日本という国は2013〜2014年頃をピークに治安が悪化し始める。むらはあるだろうが。内政や外交がどうのというのはよくわからない。しかし、年齢別人口分布は変えようがない。それからいくといよいよ高齢化社会が本格化し、メディアが煽った90年代のあの閉塞感とは比較にならないくらい本格的な閉塞感が社会を覆う。ま、予測自体はシンプルである。移民政策などが実施されて事態も変化するかもしれないから断言は勿論しないが長年の少子化による人口推移はもうどうしようもない。

新世紀エヴァンゲリオン」は、その90年代の閉塞感を代表して表現した作品だった。それが21世紀になって娯楽作品として消費されているのは興味深い。当時はまさに"カルト的"な人気だった。極一部の、という意味ではなく熱狂の強さの話である。

その熱量と常夏の世界は妙にマッチしていた。夏といえばEVA、EVAといえば夏。実際の公開時期などは関係がなく、その肌感覚が世紀末的だったのだ。

そのリアリティへの感覚は、例えば北斗の拳のアニメで毎週冒頭に「199X年、人類は…」と言っていた事を引き合いに出せば伝わるだろうか。80年代初頭の作品である。ゴールデンタイムの夜7時にそんな事が言えちゃうくらい、当時90年代は遠かったのだ。

そして、90年代のEVAにとってその遠い場所は2015年。間もなくである。これは逆からみれば、そろそろ90年代が本当に"過去のもの"へと推移していく証でもある。現実の方が追い付いてしまうと、途端に作品のリアリティがひとつ失せる。EVAとて例外ではない。

HikaruがEVAに触れたのは21世紀になってからだった。彼女にとって、あの"90年代"はどのように映ったのだろうか。普遍的な魅力に惹かれて、というのはお馴染み"ダシ"発言から十分読み取れるが、同時に、この作品が時代と共に併走してきたLIVE感溢れるアニメーションであった事もまた事実。居ない間の10年間も、他のアニメーションに"ポストEVA"というキーワードでプレッシャーを掛け続けた。どれだけ綾波レイ的なキャラクターが再生産された事か。

シンエヴァは、この、本当の閉塞感が漲り始める時期に登場する。どこまで時代の空気を反映出来るか。ハッピーエンドとかバッドエンドとか、言い方は色々あるだろう。「続ける」と宣言する事もまた結論だ。私もどうなるかさっぱりわからないが、Hikaruがついてるんだからどうしようもなく成功するだろう。それに対してHikaruが何を思うか。桜流しの時は訊けなかった事を、今度は訊いてみたいものである。