無意識日記々

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そうやって自分を受け入れること

Hikaruは音楽に於いて最も才能を発揮する、というこれだけ書いたら当たり前過ぎて困惑するような話を前にした訳だが、果たしてHikaruがそれで満足するかというとまた別問題である。

「世の中をよくしたい」とどれだけ思っているかだ。社会貢献という面で考えると、Pop Musicianというのはかなりそこから遠い。娯楽産業というのはいつの時代も迫害されたり弱い立場に陥れられたりする。役に立っていないからである。

勿論、個々のケースでは役に立っている。「あなたの歌のお陰で元気が出てきました」的な事を宇多田ヒカルはどれだけ言われてきた事やら。だが、ほんわりしている。疑うのとは訳が違うが、それが本当かどうかはよくわからない。世の中にはもっとわかりやすい役に立ち方がある。橋をかけるとか病気を治すとか宇宙に衛星を打ち上げるとか何でもいい。この中で「歌を聴かせる」のは如何にも弱い。

「歌を作って大ヒットさせて何万の観衆の前に出て思いっきりパフォームするんだ!」というメンタリティの持ち主ならそれでいい。いや寧ろそういう人がPop Musicianになるべきなのだ。目立ちたい、金儲けがしたい、もてはやされたい、沢山旅がしたい、美味いもん色々食いたい―ヒカルはどれに当てはまるのやら。家で本でも読んでいようかな、とか、友達と近場で会おうか、とか、そんな程度の欲望しかなさそうだ。なのにあんな渦中に居る。変な比喩だが、誰も居ない裏庭で車椅子を押して一言ありがとうと言われたい人なんじゃないのヒカルは。

目立ちたがり屋や成功願望の強い人は自分が強欲だとわかっているからそれにまつわる艱難辛苦も耐えられる。しかし、Hikaruにそんな動機は無い。そもそも、別に目立ちたい訳でもないのだから有名税とか意味不明。彼女がメディアに対してメンタルが弱いということはない。そもそも、耐えるメリットがどこにも無いのだ。

芸能人として脚光を浴びるより、遥かに、東北にボランティアに赴いている時の方が(と勝手に決め付けてみる)Hikaruは"幸せ"だった筈だ。そうやって直に人の役に立ちたい。そういう動機なら種々の苦痛も何のその。耐えるモチベーションが出来た時のHikaruのメンタルは強いぞ。

なのに、最も秀でた才能が音楽というのは、結局の所ミスマッチなのだ。胸に去来する虚しさを凌げるのは、内的な体験の質しかない。私がみた何かはあなた方にはみえないなにかで、という具合。ますます意味がわからないが、そういう所から始めないと音楽は生まれてこないし、そこから漸く「誰にでもよくわかる歌」がやってきたりする。

個独自の内的体験の質なんぞ、社会性から最も離れたところに在る。それが得られたから何なのかと、昔ながらのHikaruはこたえる。

ミスマッチを解消する方法は2つある。ひとつはPopsを諦め、Artに傾倒する事。芸能や娯楽と呼ばれず芸術と呼ばれ始めれば、社会的意義はぐっと上がる。一方で、親しみやすさはどこかへ行くだろう。

もうひとつの方法は本当に難しい。「目立ちたがり屋になること」である。人から注目されるのが好きで好きで堪らない、という風に性格を改造するのである。それが出来ればPopsの世界は居て居心地のいい世界になるだろう。

でも、そんな、ねぇ?


という感じで結論は出ない。どうしようもない。私としては芸能界やマスメディアと縁を切りインディーズで自由に活動するのも悪くない、と毎度ずっと思ってしまっているのだが、Hikaruはそうする事はしないだろう。ミスマッチによるストレスに心を傷め体を傷め、結果得られるのは我々の満足というのではHikaruは報われない。そろそろHikaruに「そんなこと、ない!」と怒られそうだ。いつもいつも創作行為やチャレンジに対する満足感でモチベーションを維持してきたが、もっと直接的に、「今したい事をしている最中で、出来るならもっとしていたい」と言っていられる時間が増えてくれたらいいのだが。なんかエロいなそれ。