無意識日記々

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bright side of the moon

前回最後でFly Me To The Moonの名前を出したが、当時のヒカルは大層この曲がお気に入りで、だからこそカバーして収録しようとなったのだが、もしかしてそれが行き過ぎて―つまり、この曲の月のイメージが強すぎて、なかなか他の曲で使えない、という結果になっているのかもしれない。

他にも、公式音源ではないがMoon Riverも歌った事がある。少なくとも、月が嫌いという事ではないようだ。


私が考えるのは、多分、月のイメージがロマンティック過ぎる事が理由なのではないかという事だ。上記のFly Me To The MoonやMoon Riverなどは、本来歯が浮く位に甘ったるい歌詞で、あんまりヒカルの本来の芸風じゃあない。

昨日思いつき損ねたが、月が登場する歌には他にCelebrateがある。

『月の見える丘で
 今夜二人で誓い合うよ
 秘密のウェディング』

この一節に、ヒカルの月に対するイメージが凝縮されているようにみえる。感傷的で、甘ったるい。あんまり、ヒカルの歌に出てくるシチュエーションではない。

これは、テイク5あたりと比較すればわかりやすい。

『真冬の星座たちが私の恋人』

ここが月であってはならない。星空でなくてはならない。月もある夜空とない夜空の何が違うか。月があると、夜空の主役は月になる。大空に中心が出来る。一方、散りばめられた星空の主役は暗闇である。茫漠とした真っ黒な空の上に刹那に星々が明滅しているイメージ。星は有限の、生まれては絶えていく現象として暗闇を彩っているに過ぎない。暗闇の中に厳かに輝く円形の月の姿は、暗闇を従える静かな迫力を湛えている。

テイク5の主題は孤独である。月という存在感と向き合ってしまえば、その孤独は薄れる。『孤独を癒やすムーンライト』とKiss & Cryで歌われている通りだ。無限に広がる暗闇が浮き上がるよう、星々は"星座"として散りばめられていなくてはならない。もっとも、天の川が鮮やかに見える地域ではまた印象が違うかもしれないがね。

『月夜の願い美しいものだけれど』とヒカルはキプトラで歌っている。『だけれど』、なのだ。その美しさにウットリするより『泥に飛び込』めと。これが、大方の歌に通じる哲学なんだと思う。Celebrateは、即ち、そういった哲学をしみったれたバラードに閉じ込めて捨てた反動で、勢いで作られたんだろうなというまさにヤケクソな感情の中で生まれたロマンティックな名曲なのだきっと。それもまた、ある時期のヒカルの本音である事に違いはない。繰り返すが、決して、ヒカルが月を嫌いな訳ではないのである。月夜が好きな方はご安心を。