無意識日記々

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ハイレゾに入れ込むのは&には

何が言いたかったかといえば、"ハイレゾ"というキーワードは音質の話しかしておらず、いつの時代も音質が鍵となって状況が大きく変わる事などなかった、という話をしているのだ。

CDが普及したのは、レコードより音質がよくなったからではない。名前の通りサイズがコンパクトになって格段に便利になったからである。時代を動かしてきたのは常にこちらの"利便性"の方だった。アナログより遥かに音質で劣るカセットテープは、まず録音できる事が大きかったが、それ以上にコンパクトで持ち運べ、アナログのように丁寧に扱う必要がない事が大きかった。そこに目をつけたのがウォークマンで、これの何が大きかったかといえば、持ち運びできるサイズは勿論だが、そこを見越して再生専用に特化した事であった。それでも売れたのは凄かった。

このあと時代が下っても、CDより音質的に劣るMDが普及したのはカセットテープの代替として、だったし、21世紀に入ってからは何よりipodだろう。場合によってはCDはおろかMDより音質を落とす事で"1000曲持ち運べる"利便性を追究して覇権をとった。この、アナログレコード、カセットテープ、CD、MD、ipodの流れをみていくと、寧ろ音質を犠牲にしてでも利便性をとってゆくスタイルは30年40年続いていると言っていい。

"ハイレゾ"は、この流れを引き継げない。システムの話を何もしていないからだ。もしハイレゾの時代が来て欲しいというのなら、それ相応の対策が必要だろう。

庶民が音質より利便性を追究してきたとはいうものの、音質が向上するに越した事はない。他の条件が同じならば音質のいい方が選ばれるだろう。そういう消極的な積極性(?)なら支援できる。

しかし、"時代"をやってこさせるならば、「やっぱ音楽聴くならハイレゾじゃなきゃダメだよね」という空気を作らねばならない。そこまでいけるか。いくというのならば、どこから改革すればいいのか。

音楽は、音質の向上で驚く程印象が変わる。それを知っているから、作り手側は音質に徹底的にこだわる。しかし、庶民リスナーはそんな事は知らない。自分のイヤフォンから流れ出てきている音が総てであり、それを他の再生機器のと比較しようだなんて酔狂は発想すら出てこない。

ここに、本当の問題が横たわっている。過少評価による機会損失だ。音楽の価値を判断する(つまり買うか買わないか決める)時に人はそんなに明示的な判別は行っていない。だから、自分が下した評価がもしかしたら音質が低かったせいかもしれないだなんて考えは及ばない。もしかしたらその人は、音質さえよければその作品を購入してもよいという判断を下していたかもしれないのに。

ここである。庶民の間で、音楽の購入判断時に、音質というファクターが非明示的に、つまり、本人も気が付かない隠れた要素として入り込んでいる可能性があるのだ。本人が気が付かないうちに音質が影響しているかもしれない、というのが本当の問題である。

ならば、作り手側は、出来るだけ高い音質で音楽を提供する事でこの機会損失を打ち消そうと動き始めるものなのだが…という話からまた次回。