無意識日記々

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Passionマニアが何か言ってます

Passion/Sanctuaryをカバーするにはかなりの考察を積み重ねてアプローチをする必要がある。何もトリビュート盤にそこまで気合いを入れなくても…と2ヶ月前の私なら言っていたかもしれないが、これだけ他の曲が充実しているとそうも言っていられないのだ。

ピーボを起用するからにはディズニー映画的な大仰さをある程度狙いつつ、原曲の清澄さを活かしたアレンジを、とジャム&ルイスは思ったのだろうが、それではTHE BLUE NILEをラウンジ・ミュージックに分類するのと変わらない。彼らは、Passionのオーケストラ・バージョンを聴かなかったのだろうか? あの主題は、どんなスケール感も飲み込んでしまう無限大の可能性に満ちている。歌唱力を強調したいのであれば、フル・オーケストラでこれ以上なく力強くもり立ててもよかったのではないか。原曲の、特にEnding Versionの清澄さにだけ注目してもそこには有限の世界しか広がらない。もっとも、何度も述べているように、それだけでも十二分に魅力的なトラックには仕上がっているのだが。

何より、こういうエモーショナルでダイナミックなヴォーカル・アプローチをとるのであれば何故Passion - Single Version - の年賀状パートをフィーチャーしなかったのか。確かにSanctuaryにはないヴァージョンだが、Passion/Sanctuaryをカバーするにあたっては少なくともオフィシャルでリリースされている派生ヴァージョンくらいはチェックしておくべきで、まさか聴いていないとは言わせない。寧ろ、本来ならそのパートをメインにして、どういう英語詞をつけていくかというのを最大の見せ場にするべきだった。そこに辿り着く事なく安易に"melts away〜♪"って歌い上げてしまうから曲のイメージが尻切れ蜻蛉になる。Sanctuaryに手を出しておきながら4分に満たないトラックとなっている為、やっぱりこれはボーナストラック的扱いになるなぁ、という感じだ。映画でいえばエンドロールとかそういうのかな。

天下のジャム&ルイスに対してだから遠慮なく言えるが、今私が書いたような事は最低限検討しなくてはならない項目である。本当に彼らはそういった考察を経てこのアプローチに辿り着いたのか? 甚だ疑問だ。Single Versionを聴いて、何故ヒカルは日本市場でこうしなくてはならなかったのか、PassionとSanctuaryの歌詞の違いは何なのか、翻訳して貰って確かめたのか? そこまでの手間暇をかけて漸くスタートラインに立てるかどうか、というのがこの楽曲の性質である。実際、こんなコンセプチュアルなテーマを実際の音ひとつひとつに落とし込んでいく実地の作業を考えると途方に暮れる。Utada Hikaru名義で扱える英語曲が殆ど無い為選択の余地がなかった事は同情するし、しつこいようだが単体のトラックとしては十二分に優れている。ただ、私はこの一点に関しては欲張りなのだった。



…二巡目、一曲毎にこんなに書いてたらなかなか進まないな…次回以降はもっと焦点を絞るとするか。