無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

"遠からず叶うからずっと願いを"

昨日は「秋冬春夏」の順序で聴いたから今日は「冬春夏秋」、明日は「春夏秋冬」かな。副題はそれぞれ順に「部活年度」或いは「ある高校球児の一年」、「普通の一年」、「年度」 或いは「ここだけ音読み」といったところか。ライブで4曲完全再現するのに4通りの曲順が存在するなんて素敵…(ぶつぶつ)…

…なんていう独り言はそれ位にして。

私、美旋律に出会うと「人生に報われた感」を覚えるのですよ。ただ満足するとか感動するとかにとどまらない、"甲斐があった"とでも言おうか、、、、ああ、ただシンプルに「よかった」と思えるんだな。これだこれだ。

"心が音で出来ている"タイプの私は音に対してそうなる。これは人による。美味しいものを食べたらそう感じる人は多いだろうし、ずっとこの絵を眺めていたい、という人も居るかもしれない。猫と過ごす時間をそう感じる人、棚引く雲を眺めている人、それぞれだろう。私の場合それがたまたま音だったに過ぎない。

そういう人間である私から見て、Hikaruの"心が音で出来ている度"はそれでも極端な感じがしている。

ファンになった当初は、「Hikaruがどんな道に進んでも応援しよう、作家になるもよし、科学者になるもよし、また漫画や絵画を描いてもいいし、何らかの表現者であり続けてさえいてくれれば、僕らの見えるところにずっと居てくれるだろう」と思っていた。今でも同じ気持ちは気持ちの筈なんだが、どうしても「この人は音楽やってくしかねぇなぁ」と最近は痛感している。

本人も、どこまでわかっているのだろうか。そこはよくわからない。

確かに、レオナルド・ダヴィンチのように様々な分野で一線級の成果をあげる人も実在した訳だし、宇多田ヒカルという人が女性としてそういう傑物になっていってくれればエポック・メイキングだったろうなぁと思う。ただ、それなら「DEEP RIVER」アルバムを作って19歳で結婚引退した方が、ヒカルはそのまま伝説になれたし、他の分野へのチャレンジもスムーズにいっただろう、とはよく言われる事だろう。そうはならなかった。

そう考えると、COLORSって本当に罪深い歌である。発売から今日で12年、Hikaruを本当の意味で"引き返せなくなるレベル"にまで踏み込ませたのが、この曲だった。結婚なんてなんのその、年間3位の売上はHikkiのキャリアの中でも突出している。売れてしまったが為の「Hikki健在」の十分過ぎるアピール。結婚しようが全米進出しようがまた帰ってきてくれますかという日本人による強烈なお願いアピールだったように思う。

歌詞もまた罪深い。この間トレボヘで「ミュージック・ビデオの監督さんと付き合いたい」だの「イタリア人と結婚したい」だの「みんな私の曲をカバーして」だのと纏めて発言する回がある事を教えてもらったのだが、シンコレ1の表紙詩を例にとるまでもなく、Hikaruの言葉は言霊の力で現実へと変化してしまう可能性が人より遥かに高い。気をつけないと…というところにCOLORSである。新婚ホヤホヤの19歳がハネムーン中に書いたとは思えない別れの歌。これから別々の道を歩みましょうという歌詞は、まんま3年後の離婚理由そのものだ。いいのかこゆの。

勿論、Hikaruの書いた妄想の殆どは実現しない。それでもやっぱり、気をつけなくちゃあいけない。特に声を出す場合は尚更なのだろう。心が音で出来ている以上、音で出来たものはどうしても心に響いてしまう。それは、自分の喋り声や歌声も例外ではない。Hikaruは、自らの言葉によって未来へ洗脳されていく。「願いを口にしたいだけさ」と言うのなら、是非どんどん「いい願い」を口にしていって欲しいものだ。それがきっと、Hikaruの人生を「よかった」ものとすることだろう。うむ。