スコットランドしかりだが、Kuma Power Hourには様々なHikaruの未来へのヒントが隠されて、いや、晒されているとみるべきだろう。回数は少なかったが、またもう一度聴き直してみる価値はある。私の場合、DJつきコンピレーション・アルバムとして愛聴しているので“もう一度”と言われてもまるでピンと来ないのだが。大して思い入れもないくせに何回Atoms For Peaceを聴いたかわからない。
ここらへん、音楽番組だったのだろう。曲を聴くという目的があるから、トレボヘに較べて聴き返す頻度が高い。週間と間欠月間ではそりゃ違うんだが、音楽番組という看板は麗しかった。
様々なアーティストの名前が出てきた。先述したコクトー・ツインズやザ・ブルー・ナイル、モグワイ、更にはP.J.ハーヴェイやジェフ・バックリィ、レッド・ツェッペリンに大正九年、カサンドラ・ウィルソン、ステレオフォニックス…それぞれに理由があるとはいえ、やっぱバラバラだな。しかし、そうやって掴みどころが無いからこそ、コヤツからは次に何が飛び出してくるかがわからないのだ。
どうせ復帰するならまたKuma Power HourもInterFMといわず著作権包括契約してる所ならどこでも復活させて欲しいんだが、1人で1時間番組のマスターを作り上げて電送するだけの時間と気力が、通常の活動の中であるかというと、無い。トレボヘは毎週友達のうちに泊まりに来るくらいの感覚でリラックスして番組に取り組んでいたとは思うが、熊淡はどうしたってこだわりが出てしまう。結構手ぇ抜けない。通常の番組であればそこでリスナーからのリクエストに助けて貰うのだが、結局父親からのステレオフォニックス一曲しか他人に選曲を頼らなかった。そりゃあ、負担は大きい。
次は、いやもう30分番組でもよいよ。余計に難しいか。出来る範囲で、出来る範囲で。「出張DJ」なんてどうだろうか。「あなたのラジオ番組に宇多田ヒカルが赴いて、いつでも曲紹介しますよ!」みたいな。自分の曲を売り込みにゲストで来るのは普通だが、なぜかわざわざやってきて他人の曲をかけて帰る。なんて謎なんだ出張DJ。定着したら受け入れられるだろうが、そこまで行くのが大変だろうな。
話がよくわからない方向に行ってしまった。テレビよりラジオにずっと親しんでこの30年くらい生きてきた身にとって、「宇多田ヒカル×ラジオ」という組み合わせはこの上無く魅力的なのだ。多少意味不明な事を書いていたとしても、どうかご容赦願いたいです。