無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

本当にプロフェッショナルでありたいのか

今後の作風や歌詞の方向性、新しいメディアの活用方法などに頭を悩ませているのは、偏に"pop"の3文字の為である。これがないのなら、そういったあれこれについての考察は不要だ。

音楽なんて、ただ作って出せばいい。今やPCとインターネットがあるのだから、どんな方法だって取れる。Hikaruがpopulaceを相手にするというから、そこに戦略や意図・計画が必要となる。

前にも触れたように、Popsは必ずプロフェッショナルであり、アマチュアによるPop Musicは有り得ない。いや勿論、素人によるPopsのカバーバンドも存在するだろうし、これからPop Musicを作ってやる、という"まだPop Musicianになっていない人"も居るだろう。また、どう足掻いてもPop Musicとしか形容できない音楽をインターネットで無料開放している人も、もしかしたら居るかもしれない。厳密な意味でではなく、本人の志向性としてそうならざるを得なくなっていく、という話だ。

渋谷陽一が言った通り(この引用何回目だ)Pop Musicは"他者の音楽"だ。必ず自分以外の誰かに聴かせて応答を得る必要がある。世の中には、インターネットにも接続せず、自分自身の為に音楽を作ってそれまでという人がどれ位居るかさっぱりわからない(そりゃそうだ、ネットに居ないんだから)が、全く居ないという事もないだろう。自分で作曲した曲を自分で聴いて楽しんでいる人も居るだろう。寧ろそれが、本来の"プロでない在り方"だ。

ヒカルはプロフェッショナリズムを常に強調する。いや前面に出して主張する事は少ないが、言動からみれば明らかと言っていいだろう。そこと"pop"が深く結びついているから、どこの誰にいつ何をどうやって届けるのか、という、直接は音楽に関係なさそうは話に結局はなる。そこから逆算して、音楽の作風自体にも影響が出る。ならば、考えなくてはなるまい。

私のような素人は、まず作ってみて、出来たモノの貌を見て、それに沿ってマーケティングすればいいのに、と思うが、それだと遅いんだろうねきっと。

問題は、ヒカルが本当にどこかの誰かに何かを伝えたいと思っているかどうかなのだが、こればっかりは知りようがないかもね。いつかまた、ヒカルからのアウトプットがあったら、立ち戻ってみたい論点である。