ロジャー・フェデラーで驚かされるのは、「あんたほんまにテニス・ファンなんだねぇ」って事だ。ただテニスを愛しているのみならず、本当によく他のテニス・プレイヤーの事を知っている。確かに、対戦相手の研究に余念がないだけなのかもしれないが、プロツアーを転戦している選手がああも他人のプレーぶりをチェックできるかね。大抵、自分自身のケアで手一杯だろうに。史上最高のテニスプレイヤーは、史上最高のテニスマニアでもあるのか。
普段は表になかなか出さないが、ヒカルさんも音楽を愛している点に関しては人後に落ちない。それは『Kuma Power Hour』を聴けば明らかだ。よくもまぁあれだけ広範なジャンルから曲を拾ってこれるものだ。かつてインタビューで答えた『music is music.』をそのまま体現している。
それは『トレビアン・ボヘミアン』の頃から変わらないが、その頃と違うなと思うのは、今は作る曲に僅かずつだが聴いている音楽の影響が垣間見れる所だ。この間指摘した『道』がカルヴィン・ハリス的だという話もそうだし、ハープを用いた『人魚』などはスコティッシュ・トラッド風でもある。「Part Of Your World」へのオマージュがあるかと思ったらなかったけど。そこらへんは『Kuma Power Hour』で紹介されている。また、少し距離はあるが、番組でも流れたフランク・オーシャンのアルバムに『忘却』のKOHHが参加していたらしい。直接の繋がりではないが、ひょっとするとここからヒカルはKOHHの事を知ったのではという推測も出来る。真偽は別にして、トレボヘの頃とは違い番組を聴き直す事で新作へもたらされた影響を推し量る事が可能になった。…いや、トレボヘの頃もGLAYの曲をかけて後にTAKUROとコラボとかもあったか…まぁいいや(ええんかい)。
単純にトレボヘとの違いは『Kuma Power Hour』が音楽番組として作られていた為生じたと考えてもいいだろう。ヒカルの趣味が全開過ぎてファン全員がついていくのは無理だったが、大事なのはヒカルが楽しく番組作り出来ていたかどうかだから(断言)。言い方を換えると、この時にヒカルの趣味についていけなくなっていた人は『Fantome』での作風の変化にも戸惑ってしまったのではなかろうか。そういう点においても『Kuma Power Hour』は伏線として機能している。
本気の「気に入らなかった」という意見を集約するのは難しい。大概、聴いてみてピンとこなければそのままCDがお蔵入りになっておしまいである。わざわざ自分の気に入らなかった作品について延々語ってくれる人は稀だ。問題は、作り手側がそういう感想を聞きたがっているかどうか。うん、難しい。ただ、サンプルとして数は少なくともそこから読み取れる空気というものがある。次回作にはそれも反映されるかもしれず、となると、『Fantome』を気に入ったファンも『Fantome』を気に入らなかったファンも両方取り込める作品を作り上げてくるかもしれない。ヒカルならやれてしまえそうで怖い。そういう変化もリアルタイムのラジオ番組を持っていてくれればチェックできるのに、なんとも惜しいな。またラジオ番組を復活させてヒカルの音楽愛を見せて欲しい。