無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

古臭いんだか煙草臭いんだか。

最近ヒカルについて世代の話題が多い(というか意識的に増やしている、かも)のは、有り体に言ってしまえば"宇多田ヒカル"が「古い」と感じる事が多くなったからだ。

音楽の話ではない。売上でいえば「1人で一時代を築き上げた」と言っても過言ではなく、従ってヒカルの歌は誰もがその時代の思い出と共にあるが、これから未来に向かってバックカタログにアクセスする世代たちをかなりの確率で魅了していくだろう。その魅力の前では新しいとか古くないとか未だに新鮮だとか古びれないとか失礼も甚だしい。そっちの話ではないのだ。人としての世代の話である。

Message from Hikkiを読んだ最初の頃僕は「随分と人の善意や向上心を信じる子だなぁ」と思ったし「田舎の陰湿さとか、全体として沈下する事を厭わない空気とか、知らないのかなぁ」とも思った。都会で育ったらこんな風に人を信じられるのだろうか、人の悪意を知らずに育ったにしてはものを知っているし、或いはそれらをはねのける強さを持っていたか、避け続ける強かさを持っていたか、いずれにせよあっけらかんと明るく強くなのに繊細な子だなと思ったものだ。

確かにヒカルは年齢的にみればやや先進的だったが、それから何年も経ってくると、若い世代がやたらと「呑気」なのに気がついた。ゆとり教育とかとは全く関係が無い。単に制度や医術や技術が発達してきて社会が成熟していくにつれ、人を出し抜いたり欺いたりするよりは情報を透明にして協力し合って生きていく方がベターなケースが増えてきたというだけだ。要は皆環境に適応してきただけなんだが、私のような古い世代はそれがやけに「呑気」に映る。つまり、時代が変わったので昔はそれで意味があったんだけど若い世代からみたらきっと我々は「無意味に殺伐としていた」ようにみえるんではないかな。

いや勿論、昔から人々は支え合って生きてきたし今だってほじくれば悪意なんて幾らでも見つかる。要は社会全体での割合やバランスの話だ。

だから、ヒカルが登場してきた時に人々に与えた印象、思いやりや優しさや気遣いや心遣いや前向きなものの考え方、前の世代からしたら甘っちょろいとしか思えない世間に対する"期待"など、確かにヒカルのような知性は伴っていないけれど、より若い世代のうちの幾らかは普通に身につけつつある。当時はヒカルが特別だったが、更に制度や医術や技術が発達した今、それが適応的である場面が更に増えたのだ。不平を言うのは私より上の世代になるのだろう。もどかしくて仕方が無いだろうな、社会がよりよくなったのに、自分はそこから疎外されていたら。

一方、ヒカルについて最初っから「古いなぁ」と思った事もある。煙草の話だ。もうその話はしないっつったのになぁ自分(笑)。

ヒカルの喫煙の話になると「ショック」と憚らずに言う人が多かった。勿論気にしない人も沢山居るのだが、ポイントは「他人の喫煙に落胆したと口に出して(字に書いて)言ってもいいという空気」がいつの間にか世間に出来ていた事である。これは本当に世代の差が大きい。

勿論喫煙者の割合が下がっている(特定の世代の女性は除くようだが)のは事実みたいなんだけど、要はその中で「どちらの発言力が強いか」という事だ。

私の世代はその勝敗が逆転していったのをまざまざと見せつけられた世代だ。私が幼い頃は職場で喫煙するのが当たり前で、禁煙コーナーは建物の片隅に小さくあるだけだった。それが今や全く逆転どころか「全館禁煙」と堂々と謳っている所も多い。禁煙かどうかも大事だが、「それを"堂々と言える"空気」こそが肝要である。時代が下り、嫌煙者が勝者になっているのが今の時代である。

私がヒカルだったなら、絶対に自分が喫煙者である事をバラそうとしなかっただろう。MJが死んだ時に一本だけ吸ったエピソードも話さない。何故なら、イメージダウンのリスクが大きいからだ。もし公表するなら中途半端な事はせずに「私は喫煙者の味方」だと言っただろう。勿論現実のヒカルはイメージダウンなんぞ気にしないタマなのだが、もしそうならもっと更にあけすけに日常生活について語ってもいいハズだ、というのが嫌煙者の逆転を見てきた人間の感覚である。要するに私からみて、ヒカルの喫煙に対する感覚が"時代遅れ"にみえたのだ。

その優しい人間性は完全に時代を先取りしていたが、一方で喫煙に対する感覚のように"古臭い"と思える所もある。それらを総合して、最近何となくヒカルという人間が"古い世代"になってきたんちゃうかなぁと思うようになった、という話でした。勿論、私自身はヒカルより更に古い世代なので、"こちら"からみればヒカルは当然新しくフレッシュなまんまなんですけれどもね〜。