無意識日記々

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使い方と許され方と楽しみ方の話

言論の自由は、表現者が他者の言論の自由を侵さないと誓った上で得られる権利だ。「何言ってもいい」という意味ではない。だからこそ、一個人の言動がどういう影響を及ぼすかはその都度精査されねばならない。同じ言葉でも場末の酒場での愚痴と公の場での権力者の一言では侵害度に雲泥の差がある。即ち、言論の自由とはそれを死守する活動自体が主眼であって、寧ろそれに尽きるとも言える。結構堅苦しい営みなのだが、自由って本来そういうものだ。強い意志と地道で継続的な活動が無くては成り立たない。

筆が滑った。

サブスクリプション・サービスは、使い方によっては二次創作を一気に活性化する可能性もある。勿論現状では無理なのだが、「定額で著作物使いたい放題」くらいまでいければ、おおっぴらに二次利用が出来るようになる。もっとも、日本の著作権法に照らし合わせればかなりの不都合が生じるので法律自体を変えなくてはならないかもしれないし、国際的にどうなるかとなったらもう闇である。ただ、そちらに向けての一歩にならなくては、サブスクリプションとコミュニケーションを結び付けてシーンを活性化するのにも限界が来るだろう。何より創作に対する動機を高め実際の創作活動を増やすのが主眼でなくてはならない。経済的な成果はただの目印でしかなく、それはしばしば遅れ、時として的外れである。

そんな事言ってても仕方ないか。しゃべるスタンプってもうあるのね。じゃあ歌うスタンプやサウンドロゴスタンプももうあるかな。着うたですら「そんなに短く切り取った歌を売るか」という感じだったのに更にワンフレーズだけで売るともなればもうそれ以上は、という気がするがVocaloidってもうそれよりもずっと先なんだよね。初音ミク藤田咲の歌声の切り売り、いやさ微塵切り売りである。それが世のクリエーターたちを大いに刺激してきた事はこの8年間を見れば明らかだろう。

何が言いたいかといえば、着うたにしろサウンドスタンプにしろVocaloidにしろ、他者の創作物を如何に生活の中や創作の中で利用できるか、というテーマの中でヒットしたものだという事だ。スタンプだって放っておけばただのアイコンだが、「会話中にこんな風に使えますよ」とガイドすれば途端に広まる。

つまり、創作を刺激するには、そんなに難しい事は要らないのだ。「こういう風に使えますよ」と提示するだけでいい。そして勿論「使っていいですよ」とならなければならない。

漫画の同人活動にしろDJのREMIXにしろ、二次使用の文化として注目を集め始めたのは80年代初頭以降からだから、既に30年以上の歴史がある。30年しか経っていない、ともいえる。そのうちの後半半分はインターネット黎明期である。法整備が整っていないのも仕方がないともいえるし、何モタモタしてんねん、という気分にもなる。しかし、ボーっとしてるうちに時は過ぎる。グレーだなんだと言っているうちにまずはやってみてそれから考えた方がいいかもしれない。

そんな時代に、昔ながらのスタイルで頑張ってきたシンガーソングライターに何が出来るか…という話からまた次回、かな?