無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

ライブラリを天秤にかけるな

サブスクリプション・ストリーミング・サービスが今後どんな変化を遂げていくかはわからないが、Apple Musicに関していえば、ipod classicの終了からiTunes Matchへの流れを鑑みると、やはりラジオとライブラリの統合が視野に入っているのではないかと思われる。私はここに危惧を感じる。

音楽の強力な作用のひとつは、聴いていた頃の記憶を甦らせる力だ。そういえばこの曲を聴いていた頃は受験勉強の真っ最中で、とか、この曲がアニメのEDテーマとして流れてきた時の部屋に差し込んできた夕陽の光とか、歌はいつも思い出と共にある。

勿論、ストリーミング・サービスでも「懐メロ・チャンネル」を作ればそれでよい。そこの話ではない。ストリーミングが基本になれば、若い世代は「自分自身のライブラリ」という感覚が存在する事にさえ気がつけないかもしれないのだ。ここが辛い。音楽の経験の積み重ねが自分の人生の財産たりえる事を若い世代が学べないとすれば、これは途轍もなく大きな損失である。

なので、どんな方法でもいいからローカルに、手元に音源を蓄積できるシステムは残しておいて貰いたい。

根本的な問題もある。果たして、Appleはいつまで健在なのか。我々が解約したら曲が聴けなくなるのはまだわかるが、会社の方が我々の人生より先に潰れたら今までの音楽体験は誰が保証・保障・補償してくれるのか。

実際、過去には電子書籍店が潰れて今まで買った書籍が読めなくなったという例もあったのだ。iTunes Music StoreiTunes Storeはまだいい。今までのライブラリをCDに焼いて保存する事も出来たし、DRMフリー音源になってからはただただローカルの記憶媒体に一括ダウンロードしておけばよい。もし明日iTunes Storeが潰れたとしても私のライブラリに何の障害も発生しない。ああ、昔のm4pの音源ちゃんと全部CDにしてあるっけなぁ…まぁそれは自業自得か。

ストリーミングはそこらへんのケアはどうなっているのか。それを確認しない事には安心してサービスを利用出来ない。

ライブラリの充実というのはいいものである。コレクターなら、自分のコレクションのひとつひとつを味わう楽しみ以上に、それらが居並んでいる部屋を眺めるのが何よりも楽しい事を知っているだろう。コレクターでない私ですら楽しいのだから。DRAGON BALL全42巻を本棚に並べ切った時にほくそ笑むのを耐えるのは私には無理だった。一段じゃ収まらなかったけどね。あ、ヤジロベー二回出てきてる。(お約束)

音楽で似たような事をするならば「全曲シャッフル」だ。もう「懐かしー」「懐かしー」「懐かしー」のオンパレード。色んな思い出に浸れる贅沢な時間である。

ストリーミングサービスに難色を示しているのではない。それによってライブラリ・サービスが終了してしまう事をこそ危惧しているのだ。私個人は音楽に対して物理的所有の価値を余り重んじてはいないのだが、「音楽体験の経験と記憶」に関してはその補助媒体としてのライブラリの存在は非常に、非常に重要である。出来れば、半導体モリーipod classicに復活して貰いたい所なのだが、無理なのかなぁ。

で、ストリーミングサービスに関しては、まぁ気が向いたら試してみようという感じかな。無料期間云々という話もあるが、気分の方を重視する事にする。問題はHikaruがどう参加するか、だがそれこそきっとHikaru自身が利用してみて初めて何らかの方向性が見えてくる事だろうと思うので今はその報告を待つ事に致します。