無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

ジャズもメタルも美味しく頂いてマス☆

少し前に「メタル・ファンは誠実でジャズ・ファンは浮気症」という記事を読んだ。それに対してメタル側から「それってメタラーがモテないだけでは」と至極的確なツッコミが入り議論は終焉を迎えた。全く以てその通り。異論を挟める余地はない。

それは前提として、しかしそれでも議論の余地を見つけてみよう。音楽性についてである。

メタルは様式美を重んじ、何より自らの愛に忠実である。それは音楽性にも現れている。この音楽の本質は、贅肉を削ぎ落として骨格だけで楽曲を構成する所にある。どのフレーズが主題であるかを明確にし、どのような展開の中に主題を置くかをどこまでも吟味する。従って、楽曲の美は構築美であり構成美だ。そこがクラシックに通じるところだが、クラシックの場合主題からの展開が「話を広げる」方向に行くのに対してメタルは「話を纏める方向」に行く。そこが違う。メタルはつまり「鉄筋のような」ガチガチの骨格だけになるまで煮詰められた音楽なのである。だから鉄の味がするのだ。

ジャズの場合はクラシックの「話を広げる」方法を更に拡散する方向に進化した。主題を提示するとそれを早速崩しにかかり、時には跡形もない状態まで持っていく。その為、かなりの流派で即興性が重んじられている。主題に対してある時は乗っかり突っ走りある時は足元を掬って崩しにかかる。その時その瞬間の発想と創造性、各楽器間の当意即妙な対話性が重んじられる。間合いがはかられ、ボケとツッコミ、無視とツンデレ、戯れと喧嘩が無秩序に繰り返されていく中の刹那々々の中に輝きを見いだしていく。拡散の美である。煮詰めずそのままの味を食べる感じだろうか。

ジャズとメタルにはそんな違いがある。その為、メタル・ファンはひとつの事に延々と固執しじっくり密度を高めていくのに対して、ジャズファンは次から次へと新しい音を探しに出掛けるのだ。この特性がもし恋愛事情に影響するとすると…後はご想像にお任せします。


ヒカルの音楽からは、そういった観点から見た場合、どういった特性が伺えるだろうか。ジャズでもメタルでもないので上記の考察はあんまり応用は効かないが、考えてみよう。

ヒカルのひとつの楽曲に対する執念は凄まじい。とことんまでクォリティーを高めていく。だからいつも締め切り間際まで苦しんでいる。一方、そうやって丹精込めて楽曲を作って完成させてしまうと途端に興味を失って次の楽曲作りに移行する。するとそこではまた究極の集中力を発揮して…

…なんていう"性格"が恋愛事情に影響すればどうなるか。恋人が出来れば、わき目もふらずにその人を愛し続けるが、もうその人と居ても何の進展もないなと感じたら途端に飽きてしまい次の人に乗り換える。従って、周りからみればいつも決まった恋人は居て仲睦まじいなと思えるんだけど数年毎に違う人になっているような…

…ま、もうこどもも出来たし、そういう事もないだろうね。いやいや!もともとそんな事ないから!ただの私の妄想だから!…気にしないでね☆