無意識日記々

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ちょっと一休みの3333byte

安全保障というと「国と国同士」のものだ、というのが何だか常識みたいになっているけれど、21世紀は国の体をなしていない"テロリズム"が台頭してきているのが特徴だ。昨今のあいえすとかいうのもそれにあたる。そういう視点を皆忘れてやしないか。

どこかの国が自分の国を攻めてくるかどうかは、誰もが本気で考えるべきテーマだが、本当に皆、特に専門家たちは本気で考えているのか疑問に思える。

例えば、"非武装中立"という立場がある。いや、実践した国がまだ(知る限り)無いので立場と言うには危ういが、その、誰も実践した事の無い状態について、「考えるまでもなく馬鹿馬鹿しい」と言って切って捨てる人が大勢居るのに私は驚いている。テーマについて、本当に本気で考えてるのそれで?

曰わく、「そんな状態になったら途端にどこかの国に攻められる。そうでなくても、外交上軍事的な圧力が全くかけられないのは著しく不利だ。」みたいな事を言う。誰かからの受け売りだろうか。では訊くが、もしどこか日本の隣国が非武装中立になったとして、この日本という国はその隣国に攻め込むの? 自衛隊駐留米軍の軍事力をバックにして圧力外交を展開するの? 「いや、それはしないだろう」と言う人がここで増えるだろう。それでも「うん、するだろうね。」と答えた人はもう踏み絵を踏んでいる。

どうにもここに誤解がある。憲法9条とか在日米軍の存在とか色々あるけれど、逆からみれば、どの国も日本のようになれば、軍事的な問題の多くは解決する。

勿論それは絵空事だが、踏み込んでいえば、今在る「日本に攻め込んでくるかもしれない」と想定されている幾つかの国が無くなれば、という仮想について触れる人が少なすぎる。実際、私が小さい頃はソビエト連邦が内部から崩壊するなんて事を言う人が日本で主流派になって発言を謳歌する場面なんてなかった。その状態から10年もしないうちに人類史上最大クラスの連邦が分裂したのだ何が起こるかわからない。

即ち、危険な国が在ると言うのなら、そこが本当に"国"としてやっていけるかどうか、内政についての情報がもっと必要だと言っている。次の10年で大国にクーデターや革命が起こる可能性については真剣に考えておかねばならない。もしそんな可能性があるのなら、安全保障はその線についてもリスクを再計算しなくてはならないだろう。最初から「国と国」という枠組みだけで安全保障を考えるのはとても安易で短絡的だ。


反対側のスケールについても、思考実験をしておかなければならない。何故あなたは普段、「隣の県が攻めてきたらどうしよう」という不安に駆られないのか。各都道府県には警察という実力組織がある。その気になれば、戦争とはいかないまでも、銃火器等で住民を殺して周り、自治体の行政機関を制圧する事位は出来る筈だ。「何を馬鹿げた事を」と誰しもが思うだろうが、400年ちょっと前の何十年かの時期のこの国はそんな事ばっかりやっていたのだ(そん時は県じゃなくて藩だが)。そこから頑張って、そういう話を馬鹿げていると切って捨てられる状態まで持って来れているのだ。県と県で出来た事と国と国で出来る事にどれくらいの相関があるか。真剣に考えなくてはならないだろう。

だから、安全保障について、老人の判断だけに任せるのは危うい。彼らはこの70年の常識にとらわれ過ぎているし、確かに、彼らが生きている間はその常識のまま事が運び切る可能性が高い。それに乗ってしまった後のリスクは次世代・次々世代が背負わなければならない。

それが、少子化が本格化してきた今の状況である。兎に角、冷静に。感情的になっている人は、どの意見を言っていようが既に事態に飲み込まれている。まずは、冷静に議論出来る人間同士がお互いを認識する所から始めよう。感情的になっている人たちには最初から相手をしない、早々にやりとりを終える事が肝要である。彼らに対しては、存在を知れればもうそれでよいのだから。でも自分が冷静で居続けるって恐ろしく難しいぞ。頑張れ、私も。