無意識日記々

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誠に麗しき哉宇多田家常識のズレ

トレボヘを聴いて再確認したのは、ヒカルの「音楽に関しての常識がズレている事」だ。昔からだが、どうやら本気で「世の中には音楽と普段全く関わりなく生きている人がわんさと居る」という事実が信じられない、というかピンときていないらしい。人間活動中何してたんだか。いや、悪い事じゃないんだけどね。誰しもその人生をその人の常識において全うするものだから。

それとは話が少しズレるが、トレボヘでヒカルが「こどもには音楽をやらせる気はない」以降の発言にも笑わせてもらった。勿論ヒカル本人が言ったように本人がやりたいと言ったらやらせるんだろうが、とてもそこに"中立さ"は見られない。最終的には「コンサートをみせてあげたいんだけど」ときた。おいおいおいおい。

まず普通、親がこどもに自分の職場や仕事ぶりを見せたいかというと、半々だと思うのだ。仕事に誇りをもち我が子にもそれを知って欲しいと思うのも親なら、普段こどもと接してる時とは違う社会人としての顔をしている自分の姿を見られるのは少々恥ずかしい、という人もいる。ヒカルは完全に前者で、これは自分が母のステージを見て育ってきたから自分もそうしようと思っているのだろう。どこまで意識しているかはわからないが、それってつまりその先に「プロミュージシャンになった自分」の姿が浮かんでくる訳で、明らかに「息子に音楽家になってほしい」人の言動なのだ。が、常識のズレているヒカルはそこを気づき切れていない。

だってねぇ、3歳だか4歳だかのこどもをコンサートに連れて行く、なんて話を音楽家以外の家庭でしたら、そうね、例えば私ならまず「あんな大音量に小さいこどもを曝していいのか!?」という点が気にかかる。本人が行きたいとも言っていないのにあんな非日常空間に連れて行って具合でも悪くなったら…とそう考える。ヒカルにとってスタジオやライブ会場は日常そのもの、と言うのは流石に言い過ぎだが「そこで人が生きている」と自然に思える場所なのだろう。たぶん、自営業のお家で「母ちゃんがどうやるかそこでみとき」とこどもを軒先に座らせているような感覚なんじゃあないかな。やっぱり大分常識にギャップがあるわ。

極端な言い方をすれば、「音楽家になっても苦労ばかり。こどもにそんな苦労はさせたくない。音楽家なんかなって欲しくない」と本気で思っているのなら、家で仕事の話一切しないよねぇ。ダヌパが「ギター」とか「マイクー」とか言ってるって事は、ヒカル母さんダダ漏れなのである。つまり、やや常識を手前側にズラして言い直すと、ヒカルの本音は「こどもが音楽家になってくれたらめっちゃ嬉しいんだけど、親の期待を押し付けて本人が本気でやりたい事をやろうとするのを邪魔するのはよくないから、できるだけ"音楽家になんかならなくたっていいよ"という態度をとっておこうかな」くらいなんだと思われる。

まぁ、幼子をコンサート会場に連れて行こうという時点で我慢できてない訳ですが(笑)。明らかに帝王教育、英才教育を施されてまた家業を継ぐ事になるんでないの。きっとこの家、この国がほんの40年前までは「こどもがロックコンサートに行ったら停学になる≒社会的に価値のない人間として扱われる」のが常識な国だったなんて過去、全くないものとして営まれていくんだろうな。誠に麗しい。私もそっちの常識の方が好きだし。自然に音楽家になって下さいな。