無意識日記々

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東京五輪エムブレム撤回の話なぞ

佐野研さんの騒動は結局エムブレム撤回にまで至ったのか。LiSMOFlavor Of Lifeでお世話になった人だけに残念な気持ちはある。両方のデザインに思い入れはなかったので裏切られたというのは無いんだけれど。

しかしまぁこの1ヶ月間の対応のまずさといったらなかった。こういう結論に至るのもやむなしといった所か。これをやっちゃいけない、という手順を悉く踏み抜いていき、最後はまるで戯曲を書いているかのようだった。実際、ここまでの反面教師も居ないよ。

何より、彼を養護してくれる人たちを後ろから撃つような所行の数々。よくもまぁという。昨日の謝罪文とやらも要約すると「国民がバカだから通じなかった」という内容だ。最初は周辺で自殺者なんかが出るんじゃないかと危惧してたがこれなら大丈夫なんじゃないか。その点は安堵している。図太いのは評価する。ついでに鈍いのは如何ともし難いけれど。

あとは、この"悪評"がデザイナー業界全体へどう影響するか、だ。話がこのまま収束してしまえば皆すぐ次の話題に飛び移ってしまっていい意味で忘れ去られる。が、残念なことにこれから賠償金問題と裁判、そして責任の押しつけ合いが始まる。本格的な燃料投下はこれからかもしれない。


ほんに、あのおにぎりは何だったんだろうねぇ。


マスメディアに加え、ネット民を敵に回すと恐ろしいというのがよくわかる事件だった。ぶっちゃけ五輪のエムブレムなんてデザインどうでもいい。五輪のエムブレムが輝くのは、素晴らしい大会になった事への思い出を運んできてくれた時だ。即ち記号としての役割。遠い将来東京五輪のエムブレムを見て「そういえば2020年は盛り上がったねぇ」と言う為に存在している。おにぎりが幾ら謎だろうがあのデザインを見る度にFlavor Of Lifeの大ヒットを思い出す。それでいいのである。

人が大量に流入してくる時、シンボルは記号としての機能を持ち始める。撤回されたエムブレムは、従って、今後負の印象を常に喚起する象徴としてはたらき続ける。これを見る度、「そんなスキャンダルもあったねぇ」と振り返られてしまう。困ったもんだ。恐らく、この後採用されるであろう実際のエムブレムよりも人の記憶に残る。そう考えると本当に罪深い。

誰それの何何が悪い、という話は当事者たちに任せよう。そんな事は知らないしよくわからない。後は穏当に、自殺者が出ないように引き続き祈るだけである。にしても、なんとかならんかったものかねぇほんに…。