無意識日記々

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ツアー改革

ヒカルは抜群の知名度とは裏腹に、というか、その割にはシーンでの存在感、影響力というのはそんなにない。あクマで相対的な話だが。これはひとえにツアーの本数が少ない事に尽きる。実物を見たことあるかないかで人々に与えるリアリティはまるで違ってくる。

最初の12年でツアーが少なかった(ITF2010を入れても3回しかない)のは結果論と言ってしまえばそれまでだがこのテの話は結果が総てだ。出来る出来ない、出来た出来なかったではなく、したかしなかったか。1日でも多く一ヶ所でも多く1人でも多く。その差である。

何故ツアーが少なかったかといえばそれはHikaruの生活ではなかったからだろう。今はわからないが。望めば幾らでも出来た筈だ。実際、ヒカルの5やWILD LIFEはヒカルの希望が叶ったものだ。単発なら、という面はある。

ここからは私の推測だ(ここまでも似たようなものだが)。恐らく、「つくる人」であるHikaruには毎晩同じ歌を歌うのが退屈なのだろう。「そんな事ない。毎日新しい発見と成長がある。」とHikaruは言うだろう。間違いない。それは負け惜しみでも何でもない。しかしそれはHikaruの欲しい才能なのか。

ツアー生活というのは、次々と襲い来る異常事態の数々の中で常に安定して一定のパフォーマンスをする事が求められる。それがツアーだ。攪乱や擾乱に対して自らを失わない。まぁ、サーフィンだな。Hikaruはサーフィン好きなの? 得意そうではあるけれど、どちらかというとネットサーフィンの方が好きなんじゃないの?

ホメオスタシスというヤツだ。homeostasis、平衡維持力。それはひとつの才能だが、「つくる人」であるヒカルにはどうだろう。これはノイズ・キャンセリングみたいなもので、環境からの入力を素早く正確に把握しそれに対して負の反応をする事で効果を打ち消し続ける。魅力的だが、そこに"新しい何か"は生まれない。少なくとも直接的にはね。

ヒカルが興味のあるのは、今までに見たこともない、しかしすぐにその魅力が伝わるような何かだろう。Lettersのメロディーに『いつも置き手紙』という歌詞を嵌めれた時のような感覚。それがまた次の創造を生み出すのだ。出来れば、ツアーなんかに出ずにずっとスタジオに籠もっていたいとかたまにはあるんじゃないの。

ならば、と考える。ツアーをもっとクリエイティブな場にしないか。毎晩曲順を変え選曲を変えアレンジを変え、とサウンド・チェックをしながらどんどんと変化を加えていく。従って、毎晩が最高の夜になるとは限らない。しかしそれと引き換えにHikaruのモチベーションが上がるというなら価値はある。

そうなると、バンド・メンバーはかなり絞られなければならないだろう。理想はスリーピースだが、それより2,3人多くても大丈夫かな。兎に角、3〜5人くらにに絞ったグループで暴れまわるとかやる気が駆り立てられるのではないか。

Hikaruがピアニストとしてやギタリストとして腕が立つなら即興演奏もよいだろう。しかし、Hikaruはシンガーであり、プロデューサーとしてはシンガーHikaruにソングライターHikaruの曲を歌わせるのが使命となる。なかなか、即興演奏に活路を見いだすとはならない。

果たして、サウンドチェックでそこまでの事が出来るのか。何より、ツアー中に、ステージ外での活動にリキ入るんだろうか。2時間歌うだけでくったくたじゃないの。

今はもっと余裕があるのかな。いやいやいやいや。如何に経験豊富であろうとも、ライブにとって5年のギャップは大きい。そこで自信を持つのは危険過ぎる。なので、最初のツアーは普通にやった方がいいわね。

何かこう、Hikaruがツアーに出たくて出たくて堪らないというようなウズウズウズウズした気持ちを喚起できるアイデアはないものかな。ないか。あったら皆もうやってるね。

ただ、小回りの利く最低限のメンバーだけによるツアー、というのは検討してみて欲しい。やはり1万人を越してくると本人豆粒だしライティングや大型スクリーンの助けがないと苦しいからどうしたってオーバープロダクションになりがちだが、そこはHikaruの歌に賭けてみてもいいんじゃないか。それこそ歌だけで押し切れたらどんなに凄いか。その為に演奏は精鋭のみ、一方サウンドプロダクションは金に糸目をつけずに徹底して「いい音」にこだわってヒカルの歌を届ける。そんなコンセプトのツアーが一回くらいあってもいいんじゃないかと思いました。まる。