無意識日記々

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ただの私の金銭感覚の話

そりゃまぁ昔は着うたフルが400円税別でも何十万ユニットと売れたりした訳で単価よりムードと手軽さと習慣が大事なのは間違いない(今でもレコ直には着うたフルチャートあるしね)のだが、取り敢えず今のスタンダード「250円」は高いか安いか。私は高いと思う。

「Popソングを1曲買う」というのは、最近の感覚ではドリンクを一杯飲むとかカップヌードルを一杯食べるとか、それくらいの"軽さ"だと思う。手元のスマートフォンにタップ一発でダウンロード出来て、まぁ大体4,5分楽しめる。そんな感じ。そうすると、今はペットボトルが大体150円前後、カップヌードルが何度か値上がりして180円だから、1曲のダウンロードもそれ位に抑えるのが感覚には合っている。まぁ私個人の金銭感覚だが。

250円というと、大体週刊の漫画雑誌がこれ位だろうか。人にもよるが、この値段になってくると数十分或いは一時間以上楽しめたりしてくる。ドリンク一杯カップヌードル一杯とかより高い価格帯。ちょっと美味しいコーヒーとか名店の味を再現した即席麺とか、付加価値がつかないとこの価格帯にはなってこない。或いは、最安値の時の牛丼がこれくらいか。デフレすげぇな。(これをデフレーションと呼んでいいかはさておき)

もうちょっと高くなってくると、ワンコインランチとか、漫画だったらコミックス・単行本になってくる。薄目の文庫本もこの価格帯からだ。それくらいのボリューム。なんというか、コンテンツに「ある程度のストーリー性」が求められてくる感じだ。食べるならランチとか定食とか、幾つかメニューを含んだものが要求されてくる。

しかし、まぁ例えば500円払っても配信だと2曲。2曲でストーリー性を出すのは難しい。ミニアルバムとして最低3曲は購入できるようにしないと、軽食や他の娯楽に対抗できない。500円前後で3曲となると大体170円くらい。やっぱりここらへんに落ち着く。250円はやっぱり割高感がある。


しかし、だから「値下げするべきだ」と言い出すのは、少々憚られる。もしかしたら、他の産業が低価格化を推し進め過ぎているのかもしれないからだ。例えば、マクドナルドは一時期ハンバーガーを60円以下で販売していたが、あそこまでいくとやりすぎだ。超大企業体だから出来る…とか言ってたら末端が疲弊する。

アニメの現場とかも、アニメーターの薄給がしばしば話題になったりする。安価なサービスやコンテンツは、どこかにしわ寄せが来ている可能性を拭い切れない。もしかしたら、音楽業界は、そういった"デフレ・スパイラル"な業界たちとは一線を画した、制作者側の権利を保証できている健全な世界なのかもしれないのである。

そこの解釈が、難しい。また、音楽コンテンツは、中身の如何にかかわらず値段が一定だったりする。書籍ですらページ数によって価格が変動するのに音楽は一律シングル1000円アルバム3000円で統一されている。そこもまた検討すべき点である。

信者の多い、値段が幾らだろうと買う人だらけのコンテンツなら遠慮なく値段を上げればいいし、どちらかというと気軽に多くの人に浅く広く買って欲しければ値段を下げ薄利多売(というのも少し違うかもしれないが)を目指せばよい。それによって異なる値段設定があってもいい筈だ。


しかし今のところ、そういったロジックを寄り切ってしまえるほど「慣習」の方が強い。それだけ音楽コンテンツの購入者の年齢層が上がっている(若い子は音楽コンテンツにお金なんか使わない)のだともいえる。だから暫く現状維持には、なるだろう。

着うた時代を思い返してみればわかる通り、特大ヒット曲の前では値段の感覚なんて麻痺してしまう。ワンコーラスに満たない音源に200円払っていたのだ。ちょっと狂気の沙汰である。でもヒットなんてそんなもんだ。後はもう、アーティストがどんな愛され方を望んでいるか、それだけだろう。その為にも、全部を変える必要はないがもう少し柔軟な価格設定で配信販売が出来るようにならないものか。そこらへんが現実的な第一歩になる気がする。