無意識日記々

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心配の消し方の、ひとつ

70年代にプログレッシブ・ロックを牽引したアーティストたちは80年代に入って続々と"セル・アウト"した。その代表格はASIAだが、1982年のデビューアルバムは全ジャンルを通しての年間全米No.1というロック史上でも稀な出来事を成し遂げた。

彼らの本当の気持ちはわからない。しかしこちらからみれば、70年代にアーティスティックな追究を終えた天才たちが試しに「売れれるかどうか」やってみた、ように思える。「シンプルに3分でまとめればいいんだろ?簡単だよ。」とでも言わんかのように。

モチベーションの推移というのは、あるだろう。或いは、70年代も80年代もモチベーションは同じで、時代に合わせて音楽性を変化させていっていたのかもしれない。本当のところは、わからない。


逆に、1stアルバムでいきなり超大ブレイクした場合のモチベーションはどうなるか、というのがこの日記で綴り続けてきたテーマのひとつだとは言えるのだが、本当に、何なのだろう。

プログレッシブロックの猛者たちは、音楽を追究してから商業的成功、という流れだった。しかし今の彼らは、特に日本に来る時は70年代の曲を中心にしてやってくる。やはり、ロイヤルなファンがつくのは音楽性にこだわった時期なのだ。

となると、ヒカルは、例えば売れなくなったらやめるのかな。それは、どの程度だろうな、となる。In The Fleshの感じだとライブハウスツアーは心底楽しそうだったから、あの規模なら全然モチベーションに響かないようにみえた。ならば、日本では安泰である。余程のスキャンダルがない限り、知名度は落ちない。

安泰は、でも、モチベーションを下げるかもしれない。ミュージシャンは新しい刺激を求め続ける。寧ろ、モチベーションを保ち続けるには、スケールダウンであれスケールアップであれ、状況が変化し続ける事か。常なるチャレンジがモチベーションを維持すると考えると、その貪欲さに応え続けられるかどうかにかかってくる。

だから、ヒカルの場合、ただひたすら音楽性を追究するターンと、売れ線の曲を作るターンが、交互にやってくるのがいいのか。プログレッシブロックアーティストたちが40年かけて体験してきた一生を5年くらいに圧縮して繰り返す。密度が、濃い。

しかし、それすらもルーティンワークになってしまったらそれもまた"安泰"で、刺激が少なくなる。どこかでまた、新しい着想を得なければいけない。で、そのプロセスが延々続くなら、もうモチベーションの心配は要らない。心配は、こうやって消せるものになるからだ。