無意識日記々

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ヒカルの母はただ一人の人─なるする⑪

殺風景になってきたのでサブタイつけるわ。

勿論深読みのし過ぎなのだが、今までヒカルが体調不良だったり音沙汰無し子さんだったりした時期にお母さんと何かあったりしたのかもしれない。2013年までヒカルは母親の症状に関して特に何も言わなかった。離れて暮らしていても身内なりの苦労はあったろうに。

元々ヒカルの音楽に対するモチベーションはフラットだったように見える。どうしても音楽がやりたくて、と力む必要が一切無い環境がそこにはあった。車は売って無くなってもスタジオには(お陰で)行けるのだ。熱望しなくてもできる環境が常に用意されていたのであれば特にモチベーション自体に悩むことも少なかったのではないか。とはいえ、恐らく小学校低学年くらいの頃になるのか、そうやって車を売る両親をみて「もっと安定した職業に就きたい」と思ってみたり漫画賞に応募したりといろんなことをやってみたりもしている。ヒカルにとって音楽は将来ではなく、ただ常にそこにあるものだった。

売れて一変したのだろう。ひたすらに面倒臭い事が増えた。その中で続ける意志、情熱の出所を探り続けるうちに『ママ』とか『お母さんに会いたい』といった言葉が出てきた。音楽を続けている理由を音楽に教わったというか。

『テイク5』でも、死にたい気持ちで歌詞を書いていたのに気がついたら最後に『今日という日を素直に生きたい』てな歌詞を書いていて「なんだ、私生きたいんじゃん」と気づかされたというが、ヒカルにとって音楽の創作は生きることそのものであって、その中で自分の感情に気づいていくプロセスでもあった。やりたいとかやりたくないとかを超えた所に存在していたものだった。

故にヒカルが曲を書けなくなるという状態に陥ったというのは、ヒカル自身は深く語らないが、多分まさに生きるか死ぬかの問題だった筈だ。そこまで思い詰めなくてもいいのに、と言いたいところだが、単純に今までそうやって生きてきたのだ。望むより願うより祈るより前にまず歌っていた。歌を作っていた。ただそこから始まる何かだったのだ。それはつまり母である。『You are every song』の一節はそこから生まれている。

故にヒカルにとって『ママ』『お母さん』とは抽象的な意味での「母」という言葉・概念と宇多田純子/藤圭子という一人の人間とが重なり合っている。区別をつけるものでもない、といったところか。確かに、太陽の暗喩は藤圭子のニックネームでもあり同時に母性の象徴でもある不思議な選択だ。そうなるように運命づけられていた、という言い方をしてもいいかな。ちと踏み込みすぎかな。

その重なり合いからヒカルは今まで普遍的な魅力を放つ歌の数々を生み出してきたのだが─という話からまた次回、かな。