無意識日記々

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おさないころのららばいみ

最近夜の日記を書いた後に『初恋』を聴きながら帰るのが楽しくてねぇ。本来のこの日記の性質上聴いた後に感想を書く、って流れの方がいいんじゃないのという気がいつもしてるんだが止められない。B面の曲(私の感覚でいえば2枚組の1枚目後半から2枚目にかけて)を聴いてるととーっても癒やされる。単純に疲れているというのがいちばん大きいんだろうけれど、なんだろう、なんていうか全体的に「子守唄み」が強まってる気がするんだよね。これからリラックスして寝るぞってタイミングで聴くとちょうどいいやつ。

筆頭は勿論『Good Night』でタイトル通りのおやすみソング。『パクチーの唄』はもう芭蕉扇で煽られてるよね。いや吹っ飛んでいきゃしませんが。曲の出来がぶっ飛んでいるとはいえ。『夕凪』なんかは子守唄と絵本の朗読の中間くらいかな。前身曲たる『海路』のコンセプトが「日本昔ばなし」的だったから、その影響も強くって…

そういえば常田富士男さんが亡くなられたのだったな。合掌。公共の電波に乗せてあれほどヒカルを号泣させた(しかも大体嬉し泣き)色男は彼をおいて他になくピカチュウ男子の(って俺だけか?)羨望と尊敬を一心に集めた人物。ぶっちゃけ『BLUE』の歌詞を朗読しただけなんだけど、考えてもみなさい、もしあなたの書いた曲をヒカルが歌ってくれたとしたら?泣くに決まっているでしょう私なら思い出し泣き含めと週7回泣きますよつまりヒカルにとってはそういう人物だったという事ですよ。

週末に「置鮎龍太郎と同じ声が出る人を1日100万で雇いたい」というツイートがバズっていたが、本人でもないソックリさんにすらその額を出せると言いたくなるほど小さい頃(でなくともいいが)に浴びた"声の洗礼"の影響は大きい。ヒカルにとっては「それで日本語を覚えていた」&「孤独と向き合っていた」2大幼少期自己形成の源泉であった「日本昔ばなし」におけるビゲストアイデンティティの片割れに自らの詞を朗読されるなど魂を丸裸にされるようなものだったろう。あれ以来、やっぱりヒカルを公の場であそこまで泣かせた男は存在しない。究極の色男でした。慎んでお悔やみ申し上げたく存じます。