無意識日記々

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変な口調の月曜朝

いやーホントにオーディブルってヤバいねぇ。週末に聴き込んでたとかではないんだけど、これ「耳」を奪われるという意味でかなり音楽業界は危機感持った方がいいんでないの?

まだわかんないけどね。本来小説を読む層なんて漫画を読む層の10分の1も居ない訳で。更に漫画を読む層なんてアニメを観る層よりずっと少なく、更に更に今や動画を観る人の中でアニメを観る人ってそこまで多くなくてねぇ。YouTuberが小学生のなりたい職業第1位になって間もないのにもう今はVTuberの時代だもんね。ほんとおじさん時代の早さについていけないよ…って若い頃からついてく気サラサラなかったんだけどね!

でも前から言ってるようにヒカルさんはいつかは作家デビュー或いは小説家デビューするだろうし、そんときに「自力オーディブル」に手を出したらどうなるのやら、ってのはあるのよな。長編小説だと録音大変かもしれないけど、短編集掌編集詩集あたりならもう自分で朗読してオーディブル制作って手法は現実的になりそう。

ヒカルさんは「朗読」ってものを「歌の亜種」や「歌の仲間」と捉えてるとこあって。バイリンガル(いや最近はトリリンガルマルチリンガルか?)ということもあり米国英国のラップミュージックを介して日本語朗読まで地続きなのよね。自分の書いた歌詞を常田富士男に朗読して貰った時に号泣したエピソードは末代までの語り草だし。

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ヒカルも人の子の親となり、今度は自分がという意識も高まっているんじゃないかな。朗読をする側に回るのは使命感すら帯びるのではないかと。知らんけど。

で、今は御時世的にオーディブルが書籍業界側からアプローチされてるけど、別に音楽配信側からやってもよいわけでね。もうあるしな。なので、もっと言えば自分の小説の朗読を宇多田ヒカルのCDとしてリリースしたっていいわけよ。何枚組になるかわかんないけど、世の中には民謡は勿論落語やお経のCDだって出てるんだから朗読くらいなんてことない。声優のボイスドラマとか定番中の定番だしね。

後は、「自分が書いた文章を自分で朗読する是非」の問題になるんだけど、そうなんですよ、ヒカルさん、小説家デビューするときのペンネームを「とっくに決めてる」んですよね。U3、Cubic U、宇多田ヒカルUTADA、宇多田光監督などなどに続く宇多田光氏の新し(くて古)いペルソナとして。それと「声を操る宇多田ヒカル」というペルソナとの距離感で決まっていくんじゃないですか。ま、ずっと先の話だとは思うけどね。