無意識日記々

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SAKURAと手紙と通り雨と花束と

SAKURAドロップス/Letters』のシングル盤発売から14年、か。今回の『真夏の通り雨』と『花束を君に』に対して特に影響が強い、或いは、面影を感じさせる2曲である。

特に『SAKURAドロップス』は非常に直接的だ。『真夏の通り雨』というタイトルを目にするやいなや同曲の一節『降り出した夏の雨が涙の横を通った』を思い出した向きは多いだろう。『花束を君に』も、タイトルに花が来るという事で『桜流し』と共にすぐさま連想された。

果たして実際に『真夏の通り雨』の歌詞に接すると『雨』が同じく『涙』のモチーフになっているのは明白だった。それも、『ずっとやまない』慟哭の涙である。全体を通してみても、恋の歌と生命(いのち)の歌がお互いに比喩し合っている点で共通している。

ただ、「お互いに比喩し合っている」といっても、『SAKURAドロップス』と『真夏の通り雨』ではその主従に違いがある。

SAKURAドロップス』では、生命の不撓不屈を比喩として失恋から立ち直る人の強さを歌っているのに対して、『真夏の通り雨』では誰かの生命が喪われる、誰かの生命を喪う話を基調としながら、それを直接恋愛模様の比喩に転じている。

単純に主従が入れ替わった、とまずは捉えてうただいて構わない。だが、やはり14年の差は大きい。『真夏の通り雨』の方が、遥かに複雑で技巧的でスケールが大きく、何より野心的だ。あれほど詩的な美しさを振り撒いた『SAKURAドロップス』が、今では可愛らしくいじらしく感じられる程に。

余談になるが、その成長を客観的に評価する術が今はない。スポーツなら世界ランキングが三桁から一桁になる、みたいな風に表現してくれようが、御存知の通り日本のランキングは機能していない。そもそも最初からランキング一位なので、仮に機能していたとしても一位が一位になるだけでやっぱり表現しきれないのだが。なので、こうやってリスナーが主体的にその成長と進化を、積極的に評価していく必要がある。14年前と今ではまるでこどもと大人だ。19歳と33歳だから実際にそうなんだけど、16歳からずっと天才扱いされてきたせいでそこらへんの"普通の"感覚が鈍っている。ヒカルも"人並みに"この14年間で成長しているのだ。

今日は、その成長を聴き比べてみるちょうどいい機会だろう。『SAKURAドロップス/Letters』と『真夏の通り雨花束を君に』を続けて聴いてみて、ヒカルのあらゆる成長を実感してみて欲しい。19歳の女の子が今や一児の母33歳である。そりゃあ、大きいよ。