無意識日記々

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折り合いと祈り合い

花束を君に』は全編日本語詞。"帰国子女"とか"バイリンガル"とか形容されていた昔とは隔世の感がある。もう一つの母語である英語を離れて純日本人としての…とか言い始めると、しかし、この歌の内容を見失うかもしれない。

例えば、この部分。

『毎日の人知れぬ苦労や淋しみもなく
 ただ楽しいことばかりだったら
 愛なんて知らずに済んだのにな』

ここを聞いて、『Goodbye Happiness』を思い出した人も居るかもしれない。

『何も知らずにはしゃいでた
 あの頃にはもう戻れないね』
『人は一人になった時に
 愛の意味に気づくんだ』

『無意識の楽園』というフレーズからもわかる通り、『Goodbye Happiness』のテーマの一つは「楽園追放」であり、これはキリスト教世界観そのものだ。そして、これと同じ描写が、上述のように『花束を君に』にも見受けられる。純日本人どうのというには、あまりに西洋風だ。

もっと直接的な描写もある。

『言いたいこと 言いたいこと
 きっと山ほどあるけど
 神様しか知らないまま』

『神様は知らない』は、つまり「(私の他は)誰も知らない」という意味だ。英語の授業で、"God only knows."は"Nobody knows."と同じ意味だと習わなかっただろうか。日本語の「神のみぞ知る」はその英語の直訳で、主語の変化で肯定文が否定文に変化するこの用法は、英語圏の文化に触れていないと出てこない。

斯様に、いくら歌詞が日本語のみで構成されていようと、キリスト教的モチーフや英語圏感覚が盛り込まれている以上、それをして日本風とか言うにはあたらない、という事が理解されるかと思う。そういえば『花束を君に』の演奏陣は英語圏の人たちらしいね。

そうは言うものの、読者はヒカルがキリスト教的世界観に対して相対的な感覚も持っている事はご存知だろう。『愛のアンセム』では、死んだら最後の審判を受けるというキリスト教的世界観の許に描かれた原詞のストーリーに満足せず、東洋的思想である輪廻転生を自らの作詞に盛り込んだ。ひとつのモチーフを信奉しているというよりは、分け隔てなく様々なモチーフを取り入れていると解釈しておいた方が無難である。終始一貫した部分と大きく成長した部分。その双方を眺められるのが今回の復帰劇の醍醐味ではなかろうか。