無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

knockin' on Heaven's floor

前回「バスドラ」と書いたが、音自体には音程がある為、多分ベースとユニゾンなんだと思うがサウンドが独特な為実際の所どうやって音を作ったかはわからない。まぁキスクラの歌詞に出てきた単語だしバスドラっていっときゃいいかなと。どうでもいいが自分で書いてても「バスドラ」を「パズドラ」と間違えそうになる。パズル&ドラゴンズな。普段一切パズドラに触れる事のない自分ですらそうなのだから読者の皆さんにもきっとそういう方がいらっしゃるに相違ない。大ヒットとはかくも罪深いものである。

そのバスドラの「ダダダン」(「ダダダッ」の方がよかったかなとか今更な事も考えつつ)、モチーフは「心臓の鼓動」であろう事は想像に難くない。脈動は総てのリズムのルーツである。バスドラに標題がつく曲といえば『Kremlin Dusk』がある。同曲はエドガー・アラン・ポーの"The Raven"をベースにした歌詞になっているが、それに倣えばあのバスドラは「運命が扉を叩く音」になるだろうか。それじゃベートーベンか。砕けて言えば気の狂った主人公が、風の打ちつける音を誰かがノックしている音だと勘違いしている場面だ。まぁひきこもりにとってはノック音は総て恐怖の対象でしょうが。

あっさり鼓動音だと断定してしまったが、もうひとつの解釈がある。それは「雨音」だ。音としては若干不自然だが、キーワードである『降り止まぬ 真夏の通り雨』が出てきた所で鳴り始めるし、最終的に『ずっと止まない止まない雨に』とシンクロする。雨音だと考えた方が解釈はスムーズだ。一方、音を直接聴いた人が最初に連想するのは鼓動音だろう。降り止まない雨を音で表現するならトレモロ(「ダラララララ」)やトリル(「ラリラリラリラリ」)を使うだろうに、「ダダダン」或いは「ダダダッ」っという断続的な音にしているのだから。

どちらの解釈がより適切かはわからない。どちらも的外れかもしれないし。ただ、いちばんありそうなのは「両方」だろう。この桜シリーズの発起点である『SAKURAドロップス』に出てくるこの歌詞を想起しよう。

『降り出した夏の雨が 
 涙の横を通った すーっと』

個人の心情の表現である涙と自然現象である夏の雨が軌を一にする、同調・シンクロする。その情景を描いている。この風合いが『真夏の通り雨』にも一貫しているとすれば、降り止まない雨と止まらない鼓動がシンクロしていつまで経っても収まらない情景を歌詞とサウンドの両方を使って描写した、という解釈も成り立つ。今のところこれが最も説得力のある解釈であると思われる。

とは言っても、誰を説得する気もない。ここまで個人的な感情を歌った歌は個人的に解釈するのがいちばんだ。今日ここに書いた事は一旦忘れてまた『真夏の通り雨』を聴き返して貰えると有り難い。