無意識日記々

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#とと姉ちゃんをステマします

昨日の「とと姉ちゃん」みたいなのが、視聴率的にはいちばん危うい。無難で、特に起伏が無く、「つ、次どうなるんだろう?」というワクワクも薄い(無い訳ではない)。こういうのが続くと本気で皆この作品の事を忘れるようになり話題にしなくなっていく。それ位なら、脚本がハチャメチャだとか演出が雑だとか叩かれている方がマシである。

特に最近は、インターネットのお陰で「変な作品を皆でツッコんで楽しむ」という文化が定着している。不合理で突拍子もない展開をテレビで確認しつつスレを開きハッシュタグを辿る。悪趣味だと言ってしまえばそれまでだが、今まで楽しめなかった作品の新しい楽しみ方を見いだしたという面では進歩だ。行き過ぎると不快になるが。

なので、「とと姉ちゃん」も叩かれているうちはまだ視聴率は安泰だろう。「ああ、そんなのあったっけ」とか「最近見なくなった」と言われたら要注意。最悪なのは「いつのまにか見なくなった」だ。視聴を止めた事にすら気づけなくなったら存在感の無さは末期的だ。月曜日の第67回はそんな危うさを感じた。

…と思ってたんだけど今日火曜日の第68回は唐沢寿明登場回だったの? ある意味最高のタイミングかもしれない。あまり普段使いたくない表現だがまさにカンフル剤になるだろう。というか殆ど主役だよねこの人出ちゃったら。


主役といえば。どうにも最近常子のキャラが魅力的でないなと思う事が増えた。よく観察してみると、どうも行動原理と高畑充希の演技の方向性が噛み合っていないようだ。脚本の描く常子は行き当たりばったりで、寧ろ天真爛漫というくらい何も考えてなくて、いうなれば「愛すべきバカ」の立ち位置だ。それをしっかりものの妹2人が横から後ろから支えていく…たぶんこの構図は暫く、いや、最後までかな、変わらないだろう。バカだがパワフルな常子が起動力となって様々なトラブルを起こしながら出版業界を掻き回す、みたいなプロットが想像される。(私STERAとか読んでないから)

一方、高畑の演技はこなれ過ぎる程にこなれている。余裕綽々で、細部まで気配りが利いていて、極端に言えば周りが馬鹿にみえるくらいに利口に立ち居振る舞っている。一言でいえば"小癪な演技"だ。これは、上記の常子像から大きくズレている。勿論高畑も、常子のバカっぽいところをバカっぽく演じているのだが、それが上手過ぎて、「賢い人が馬鹿を演じている」ようにしか見えない。まさにそのまんまである。要するに適役じゃないのだ。天然には天然がいちばんなんだな。高望みだけれども。

…昨日の第67回もそうだったんだよな…滝子に「人の役に立つ雑誌を」の助言を鵜呑みにしてそこから何も自分で考えられないだなんて「バカ丸だし」である。これが天真爛漫キャラなら「素直な性格で猪突猛進の馬力もあって」という風に見えるのだけど、高畑では演技派過ぎるんだな…。

しかしこれも、裏を返せば、常子が劇中でどんどん成長していけば、高畑の小癪な感じと徐々にシンクロしていく事が期待される、という事でもある。そのアジャストがうまくいけば、第1話冒頭のシーンに無事辿り着く事が出来るだろうて。


考えれば考える程、「とと姉ちゃん」は後半戦型だ。今でも十分楽しめている"肯定派"の皆さんには、これから更に楽しくなっていくだろうと言えるし、文句ばっかり垂れている"否定派"の皆さんには、「いやいやまだまだこれからよ」と言える。予想がハズれたらごめんなさいだけれど、半年間の長丁場だし、長い目でみてやって貰えませんかね。あ、土曜の午後に前半の総集編があるんだって。そから合流するのも、アリですよ。