無意識日記々

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『道』

これが「Fan to me(ファン・トゥー・ミー)」だと自分に扇風機当ててるみたいなんだよね。「ワ〜レ〜ワ〜レ〜ハ〜ウチュ〜ウ〜ジン〜ダ〜」って声震わせんのかね。自宅で出来るお手軽な人工ちりめんビブラート、扇風機ひとつでキミも宇多田ヒカルみたいに歌えるよ!ってやかましいわ。(…暑いですね…)

さて色々ふらふらと目を向けよう。アルバム・タイトルのみならず、収録曲総ての曲名が判明した。全11曲。あと8曲もあのレベルの歌があるのかと思うと目眩がするが、その総てが日本語タイトルとはどういう事か。これは「意図的ですか?」とパイセンに訊くべきだな。

注目の1曲目のタイトルは『道』である。『光』を抜き最小字数の日本語タイトルに…とまず思いそうになったが、それはこれを「みち」と呼んだら、だな。これ、素直に「みち」って読んでよいのかな?

と言っても、他の読み方はそう多くない。音読みなら「どう」だが、流石にこれは曲名としては未知数だ。「みち」でないと未知数とは…ってひたすら駄洒落づいてるな俺。

有り得るとしたら「道(tao)」なんじゃないか。「タオ」とは…面倒なのでWikipediaをそのままコピペしてやる。えいっ。

「道(どう・タオ・Tao・みち)とは、中国哲学上の用語の一つ。人や物が通るべきところであり、宇宙自然の普遍的法則や根元的実在、道徳的な規範、美や真実の根元などを広く意味する言葉である。道家儒家によって説かれた。」

…だそうである。小難しい事はわからないが、フランス語のアルバム・タイトルを冠しながらいきなり1曲目で東洋哲学について歌い始めるとしたらなかなかにチャレンジングだ。フランス語と日本語で歌った『Hymne a l'amour 〜愛のアンセム〜』において、元の歌詞をそのまま訳してしまうとキリスト教的な死生観に偏るとエンディング付近の歌詞を東洋的思想に近づけて歌ったあのヒカルの知性がここでも発揮されている事が期待される訳だ。


もうひとつ『道』で思い出したのが映画のタイトルだ。イタリアの巨匠、フェデリコ・フェリーニアカデミー賞外国語映画賞)を受賞した1954年の作品である。今やイタリア人と結婚してもしかしたら本名はイタリア語の名字が含まれているかもしれないヒカルが興味をもって題材として取り上げたとしても不思議ではない。原題は「La Strada」だそうで、つまり英語にすると「The Street」なのかな? 「街」とか「通り」とかいう感じか。Wikipediaにハッキリと「ヨーロッパのキリスト色、いたる所に出ている」と書いてあるので、もし『道』がこちらの「La Strada」だとすると「道(tao)」の解釈とは正反対になるな。はてさて、真実や如何に。


前にも書いた事だが、タイトルを元にしてあれやこれやと妄想を繰り広げられるのも今のうちである。聴いてしまってからでは遅いのだ。詳細が発表になるまで、鱈腹楽しませて貰うとするぜ。