無意識日記々

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まだ『Fantome』を聴く以前。

折角なので昨日から丸一日新曲を聴かないようにしているのだが、何だかもう随分聴いていないような気がしてくるんだから依存症とは恐ろしい。特に『道』のサビはもう勝手にアタマの中をグルグル回っている。回り道である。(ちゃうわい)

まぁもう肩の力の抜けたもので、明日から日記のネタが劇的に増えるんだなぁ、楽になるのか苦になるのかよくわかんないなぁという気分。もう6曲知っている訳だけど、ひとまず、「『Fantome」を知らない自分」や「『Fantome』の無い時代」とはこれでお別れを告げる事になる。嗚呼、長かったな。

別に昨今始まった事ではないが、毎日新しい曲に触れる生活をしていれば、それが1日5曲だって恐れるに足らず。勿論、思い入れも思い出も深い相手なので感慨はあるし、何より、これからの人生であと何回ヒカルの新作を迎えられるかを考えると、とても貴重な日なんだなぁと嘆息する。

実際、吉良(知彦)さんには、オフレコで次回作の話を伺うなどして、変な話、彼が次に作る筈だったニュー・アルバムを自分が聴く事を疑っていなかった。LIVEでは少しずつ新しい曲も聴いていた(次のアルバムに入れるかどうかは明言していなかった気がするが)。そういうの、本人がある日死んだら総ておじゃん。僕達は、そういう世界に生きている。今私が考えている事は、まず安全に帰宅する事。それだけだ。今電車が転覆したらそれでおしまいなんだな、と。電気代払い忘れてないよなー、とか、家の鍵落としてないかなー、とか、そんな実際的な心配ばかり。でもまずは、いつもいつも、生きていなければ話にならない。浮かれる気にはならない。

アルバムの中身に不安は全く無い。ヒカルなら必ずやってくれる、というのもあるにはあるが、本人が出来を誇っているのだからもうそれがいちばん間違いはない。出来の悪い作品を糊塗して絶賛する事こそ、あの誇り高き歌手であった母の顔に泥を塗る行為だろう。ヒカルが自ら「二度と作れない」とまでいう作品に、何の不安も無い。

そこは、本当に正直で居て欲しい。勿論、商業音楽である以上、ネガティヴな発言は避けるべきだが、うまくいかなかった部分があるのならそうわかるように言って欲しいのである。素直な感想でいい。親バカと言えばいいのだろうか、生みの親である以上、曲をいちばん高く評価しているのが自分であっても何ら構わない。でも、自分の気持ちに嘘はつかないで欲しい。「出来は悪いけど無茶苦茶かわいい」とかでもいいじゃないのさ。親なんて、それでいいよ。

私は親ではないので辛辣だが、多分売上以外に難癖をつける予定は無い。それが信頼だ。繰り返しになるが、制作してみた結果、クォリティーが上がりきらなかったらそれでもいいのだ。作品なんて、自分の自由にゃできないよ。でもそこにかける声に嘘は要らん。そここそ、自分の自由に出来る最大の事でしょう。

私的に鑑賞するにあたって売上の話は雑音だ。ノイズもまた音楽たりえるが、それは純音がどこかで奏でられた後の話。まずは、歌に耳を傾けよう。耳が健康でありますように。イヤホンやヘッドフォンやスピーカーが全部故障しませんように。停電しませんように。結局、当日に考えるのはそんな事。慌てない。急がない。怠らない。ワクワクやドキドキより、足元をよくみて躓かないように気をつける方に遥かに心が行っている。あぁ、つまり、私は生きたいと思っているのだな。新しいヒカルの歌に出会いたくて。それは、何にも変えられない程の強い強い強い力だ。生きるのは、安全に歩くとか、健康に呼吸するとか、身体の自由を侵食されない、とかそういう事だ。今の私は、聴覚や社会や呼吸において、自由である。ここに居れて感謝する。誰に感謝すればいいかわからない時、人は神を生み出すのだ。生きたいと思う人の前に、神様は現れるのでした。それこそが幻、気配の正体なのかもね。