無意識日記々

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『初恋』でいちばん驚愕だった事

前回からの続きを書こうと思ってたのだけど、よく考えたらこのテーマはそんなに急がなくていい。

それよりアルバム『初恋』のふんわりした第一印象を今のうちに書き留めておこう。これから何度も聴き込んで理解度を深めていく前の、出来るだけ浅い感覚の事を。後からだとなかなかこの感覚を思い出せない。

最初に通して聴いてアルバム全体から感じ取った中で…いちばん残ったのは「死の匂いが強い」という事。インタビューによると追悼の意味が強かった『Fantome』からより前向きな作品に変化した的な事をヒカルは言っていたので、意外といえば意外だった。

この感覚が具体的にどこから来ているのかはよくわからない。母の遺影が出てくる『嫉妬すべき人生』でアルバムがクローズされるから、という直接的な理由でいいような気もするが、自分の今の感覚は「ヒカルにとって、死と向き合う事がより日常になったのでは」という事。ショックからは立ち直れても、母が死んだという事実から逃れる事はできない。ならば、その事実と向き合いながら生きていくしかなく、それが毎日の事になったというバックグラウンドが、この強い死の匂いに結びついているのではないかと解釈してる。

「ふんわりとした第一印象」の話の割にヘヴィな感じもするけど、このふんわりは“捉え切れていない感覚”を指すものだからね。

或いは、小さな幼子と暮らすうち「あぁこの生命は私が世話してやんないとあっさり死ぬんだ」と日々実感してるとか、そっちかもわからん。ここらへんは、アルバム曲の詳細をみていくうちに理解出来ていくかな。


サウンド面に関しては、そこかしこに"Utadaっぽさ"が出てきてくれて、そこが嬉しかったな。『Fantome』が日本語タイトルに埋め尽くされた「宇多田ヒカルの日本語アルバム」であったのと較べると、その違いが際立つ。

具体的には『Too Proud』に『EXODUS』の時のエクスペリメンタルでカラフルでエロティックなサウンドが踊っている事や、『残り香』に『This Is The One』の時のような「捻らずに得意技の哀メロで一本勝負!」感が漲っている点が素晴らしいかなと。それに、何よりハイライトたる『誓い』が『Don't Think Twice』の日本語バージョンなのがデカい。フルコーラスで聴いてますます確信を強めた。あのラップっぽいパートも最初は英語が乗っていたと解釈した方が落ち着くし。

別に『Utada』というワンワードブランドにこだわっていた訳ではないので、宇多田ヒカル名義であろうが構わない。要は『EXODUS』と『This Is The One』の美点や魅力を継承してくれればいいのだ。その点、そういった傾向が『初恋』では『Fantome』より強く感じる。

出来れば、もっと自由に英語と日本語を行き来してくれてもよかったかなとも思ったが、そこはまだ『Fantome』からの慣性がはたらいているかな。まぁ『俺の彼女』じゃフランス語も歌ったし、ヒカルも別にそこらへんに制限を加えている事はなさそうだし。

『初恋』を過去のアルバムと較べて優劣を判定する、とか好き嫌いを論じる、とかの段階にまではまだ至っていない。未だに各曲それ自体の力強さに圧倒されている段階だ。先述した「1時間足らずなのに2枚組を聴いたようなボリューム感」というのが今のところいちばんしっくりきている。これだけ沢山の多種多様なクライマックスを取り揃えたアルバムもないんじゃないか。冗談抜きで「Magical Mystery Tour」と「Abbey Road」を連続で聴いた位の充実度だわ。ホワイトアルバムじゃないぞ。あれよりこっちのほうが全体のテンションアベレージが高い。あんなに散漫じゃないし。

で、いちばん驚愕だったのがこれだけ人を何度も感動させておいて「アルバム全体の完成度が低い」事だ。アレンジがとっちらかってまとまりがなくなる場面が幾つもの散見された。兎に角出てきたアイデアをそれなりの形にしました、という荒っぽいサウンドと、相変わらず細部まで練られた日本語歌詞とのミスマッチ。『パクチーの唄』ですら、もっと洗練された楽曲に仕上げられただろうに、と思わせるその完成度の低さ。裏を返せば今後、宇多田ヒカルはこれ以上のアルバムを作れる能力を既に持っている事になる。自分でも何を言ってるのかわからない。