無意識日記々

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0th album

「チーム打率3割なのに4番バッター不在」。これが『Fantome』の第一印象だ。

個々の楽曲は本当に素晴らしい。アレンジも凝っている。要所々々で独特の日本語が切り込んでくる。心に直接言葉を放り込んでくる。手を変え品を変え、最後まで全く飽きさせない。つまらない曲はひとつもなかった。それぞれの曲をそれぞれに楽しんだ。で、最後の『桜流し』に辿り着いた時にこう思うのだ、「え、もう終わり?」

決して中身が薄い訳ではない。新鮮なアイデアが満載である。モダンなサウンドとレトロなサウンドが自然な体裁で同居している。ボトムを効かせたサウンド・プロダクションは過去最高のクォリティーで、特にヴォーカルの録音に関してはそのリアルさ、身近さに思わず「小森くん、ぐっちょぶ!!」と喝采を贈りたくなる。花束を君に

つまり、呆気ない訳ではない。濃密だ。しかし、最後の最後まで何かを掴んだ感触がない。曲はいいのに、ひとつの作品として、一枚のアルバムとして捉えどころが無さ過ぎる。嗚呼、まさにタイトル通りの『ファントーム』、幻のようなアルバムである。

野球に親しくないファンに対して物凄く詳細をぶったぎって乱暴に形容すれば、「『First Love』アルバムから『First Love』を抜いて聴いたような感じ」か。単純に「決め手に欠ける」と言うには楽曲が充実している。『俺の彼女』は5分間唸りっ放しだし、『人魚』の調べは美しい。『荒野の狼』はこれぞヒカルとしか言えないフック満載の歌メロで、『忘却』のモダンで圧倒的な存在感は他の追随を許さない。『人生最高の日』の3分で切り上げる潔さは新境地だ。どこをとってもカブる曲は無く印象の薄い曲もない。アレンジやプロダクションも含めると、『First Love』と『Fantome』では文字通りこどもと大人くらいのクォリティーの差がある。

しかし、リスナーが求めるのはそういう事かというと違うんじゃないか。極端に言えば、他の曲がダラダラであろうが『First Love』みたいなわかりやすい名曲がどーん!と真ん中に鎮座していればそれで総て許される、みたいなところがあると思う。密度とか多様性とかより、一瞬でも「これ! これこれ!」と腑に落ちる、しっくり来る、真ん中に当たる感覚を得たいのではないか。

『Fantome』の曲は、それぞれに単独で聴く分にはどれも唸らされる。しかし、連続で聴いて何かを求めていくと、それは手に入らない。何とも不思議なアルバムだ。

思うに、ヒカルは、まだ自分の事を赦せないところがあるのかもしれない。『母の顔に泥を塗らない』という気合いはヒシヒシと感じる。どの曲も妥協なく練り込まれていて、「ああ、プロの仕事だな」と思わせる。パッと弾ける『人生最高の日』までも、非常に丁寧に作り込まれている。誰も泥を塗ろうなんて思わないだろう。

しかし、それもどこか「作られた多様性」で…って朝からちと長くなったな。続きはまた次回にしておきます。またもう一度聴いたら印象が変わるかもしれない。まだ一回しか聴いていないのでね。