無意識日記々

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ま た そ の 話 か よ ?

『Come Back To Me』は日本人受けしない曲だったんだな、というのが結論。

『This Is The One』の日本での初動は8万枚とかそんな数字だった。『First Love』を累計で750万枚以上売った人間が、となると「100分の1かよ」となる。1%だ。初動と累計を較べるなよ、という至極もっともな指摘も印象論の前では無力なのだ。

どうしてそうなったのか。時代だ、というのもあったろうがやはり日本人にはリーダートラックである『Come Back To Me』がピンと来なかった、というのが大きいのではないか、と当時も、8年経った今も思う。一言でいえばバタ臭い。美味しい料理ではあると思うけどこの濃いめの味付けは好みじゃない、といったところか。

しかしそれこそがUtadaの狙いであり、その狙いはしっかり当たった。ピーク時にはアメリカでの一週間オンエア数が1000を超えたのである(これまたデータの出どころがもうWebに見当たらないので説得力が薄いぜ)。ある意味、アメリカで売れる為に日本での売上を捨てたのである。それはまぁ極端な言い方だが(Hikaruは特定の市場を見捨てるような事はしない)、そもそも「メインストリーム・ポップ」な路線がリズミック・チャート向け、という時点で日本の方を向いていないのは明らかだ。2009年当時の日本市場ではそんなものは流行っていなかったのだから。いや、そもそも「J-popの今の傾向や流行」というもの自体が消えかかっていた時期だったかもね。

だからヒカルは『点』と『線』を著した、ともいえる。暫く(本気で)留守にしてるけど、日本のこと大切に思ってるからね!という事で日本語だらけの本を編纂した。それも2冊も。『EXODUS』の時もSCv1や『誰かの願いが叶うころ』で極力空白期間を短くしてくれた。『ヒカルの5』はその究極だったろう。あんなナリしてそれはそれは義理堅く誠実なお人柄なのですよ、彼女は。

なのに、今ライターの皆さんは『This Is The One』を無視しようとする。これだけ筋を通してまでリリースしたかった作品を。狙い自体が気に入らないのは仕方がないが、それで宇多田ヒカルを分析できると思っているのか。例えば、「『First Love』は日本で史上最高の売上を記録しましたが、私はこの作品が好きではないので彼女を理解するのには不要だと考えますので無視します。」という人が居たとして、私論として耳を傾ける分には興味深いかもしれないが、とても「現実を反映した論考」は期待できないだろう。『This Is The One』もまた、Hikaruが精魂込めて作った作品だという点で『First Love』と何ら変わらない。売上が物足りないから失敗作だった、と切り捨てるのならそれも結構。でも捨てるからにはまず拾わないと。それすらもしないから私はこうして(多少無理して(笑))憤っているのだ。あれは素晴らしい作品なんだから。

例えば、単純な見方として「Popsのアルバム」としてみた時に、私の評価は『Fantome』より『This Is The One』の方が上である。『Fantome』の方が、歌唱力も、作詞力も、サウンド・プロダクションもアレンジメントも売上も知名度も遥かに上だが、「Pop Songsの集合体」としてみた時は『This Is The One』に軍配を上げる。Popsとして「聴いて楽しみたい」時にはこちらをかける事が圧倒的に多い。作品群とはそういうものだ。ものさしの当て方次第で如何様にも評価が変わる。毎日の気分で好きな曲、好きなアルバムなんて変わるものだ。だから何枚もアルバムを作る事に、何曲も生み出す事に価値がある。誰にとっても、明日はまた新しい一日なのだから。

先程触れたように、私論として「このアルバムは好きじゃないからスルーする」というのは一向に構わない。しかし、「なぜ全米で宇多田ヒカルは売れたのか?」みたいな切り口で文章を書いておいてそれかよ、というのは何度でも言ってやる。たぶんまた言うのでその時は是非「…また言ってるよ」とスルーしてうただきたい。

ただ、これだけ力説しておいて肝心のHikaruさんが「あのアルバムは黒歴史」って言っちゃったら私完全に橋桁外されちゃうので、心の奥でそう思ってはいても口には出さないで欲しいなぁ、というのは激しくありますデス、はい(笑)。