無意識日記々

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Fantomonth Performance Faded

真夏の通り雨』のビデオがMTVミュージックアワードの、女性アーティスト部門のみならず全体での最優秀賞まで獲得したとの事。おめでとうございます。ヒカルは本当に全く想定していなかったらしく、最優秀賞の方はコメントは前回言い尽くしたからもうないと正直に言うというね(笑)。リアルでいいんじゃないでしょうか。

隣に本人が出てるビデオが2つあるのにそれを差し置いて、ってのは対象期間の都合かね。いずれにせよめでたいなぁ。チャートの方は今週嵐が発売という事で清々しく全部持っていってくれそうだから、これで1ヶ月続いた『Fantome』祭りは一定の収束をみるでしょうか。コラボカフェあと2週間続いてたらなとも思ったがそんなローカルな話はいいですかね。

ほんの1ヶ月前まではここまで売れると思ってなかったので嬉しい驚きの真っ最中ではあるのだけれど、なにぶんアーティストとしての体質が体質なので、ここからの波及効果みたいなものは限定的にとどまる。しかしそれでいい。今回、特に『花束を君に』に関してパーソナルな思い入れを語る記述にいくつも出会した。朝ドラ効果が大きかったのはわかるが、それにしても。

しかし本来、流行歌というのはそういう役割も持っている筈である。庶民の感情の表現。ヒカルが時代を超えて特殊なのは「誰にもわかって貰えない気持ち」を常に体現し続けている点だ。したがって思い入れも半端でないものが出来上がる。いつも言う「私だけのヒカルちゃん」の成り立ちである。

「母」と「死」と。メッセージは明確だ。アルバム全体はそこだけにとどまらないが、先行シングルが2曲とも焦点が定まっていた上、『道』がその思いを総括して前に進み始めちゃったものだから『Fantome』全体としてのイメージはほぼそれで決まっている。発売から1ヶ月が経ち、恐らくこれから話題にのぼる事が減り皆の中でイメージのアップデートが為されなくなっていく以上、その『定評』はこれから何年も、少なくとも次作が発表されるまでは、場合によっては何十年も何百年も「『Fantome』はこういう作品です」という目印として存続していく事になる。名前を覚えたらそこからのアップデートは至難の業だ。それをブランドという。

実際には、『Fantome』の中にも、進歩や進化があり揺らぎや多様性がある。「アルバム」という、単一の作品としてみるにはあやふやな単位で語られる事には警鐘を鳴らさねばならない。この日記は多分、次作が出るまで、或いはツアーが始まるまで、そのスタンスを貫いていく事だろう。