無意識日記々

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『(一人称)の(三人称)』

はぁ。今日は夏日になりそうなんですか。最近異常気象って言わなくなったけど、今年こそ正真正銘の異常気象じゃないっすかね。もう10月も中旬なのに夏日で。昔は「この程度の揺らぎで異常気象はないだろ平均じゃなくて分散みろよ」と言ってたのに今は逆。なますに懲りてあつものを一気飲みかよと。なんのこっちゃ。

『Fantome』関連のダウンロード数についてニュースが出ていた。全世界で15万ダウンロードとか。うん、みみっちい(笑)。だって10ヶ国で割っても1.5万なんだから、結局何ヶ国でチャートインしたんだっけ。ただ、配信はやっぱりシングルが優勢で、『花束を君に』はもう60万ダウンロードだそうな。いつのまに。でシングルの合計は150万を超えるとか何とか。なんだか色々と計算が合わない気がするけど、こちらはなかなかいい数字。普通に大ヒット曲と呼んでよさそうですね。

アウトサイダーと自ら言う人がメインストリームの中央を走るというのは何とも痛快というか奇妙というか、と思ったが選挙をやったら無党派層が最大勢力、スポーツやったらフランチャイズより代表戦、という国民性だった。こう、アイデンティティが無いところがいい。

実際、アイデンティティという概念がなかったから今こうやってカタカナ言葉で表記しなければいけないのだ。島国で侵略が少なかったからとか理由をつける事は出来るが、取り敢えず事実として無節操にその時その時の祭りを楽しむ、という態度は一貫している。今デパートにでも行けばもう既にハロウィンとクリスマスとお節料理の予約が出来る。冬至にはゆずを浮かべカボチャを頬張るだろうし。いやはや。

そういう意味ではウタダも祭りのひとつとして消費される運命にある。その中で3週連続1位で目立っているのは流石というか何というか。ヒカルの歌はその中で、部外者としての疎外感を核にして売れている。真ん中が空虚というのも、この国らしい。

英語の構造は、前も述べた通り一人称、二人称、三人称の順に組み立てられる。ただ構文が異なるだけではなく、実際に世界の見方が異なるのである。一人称や二人称にバリエーションがないのも偶然ではない。抽象的な個が世界の前提として言語に組み入れられている。

日本語においては一人称も二人称も多様である。私、僕、俺、儂、手前、当方、、君、貴方、貴君、その方、お前、そち、うぬ…お互いの社会的関係性や個の気分や性格で容易に豹変する。そういう意味では日本語の人称と英語の人称は全く別のものだとわかる。英語の方は、そもそも社会的関係性や個々の性格以前に「I」と「you」が存在するのだ。

それを踏まえると、日本語で勝負すると誓った『Fantome』というアルバムで、『俺の彼女』という日本語独特の(というか、英語にはない)"色のついた一人称"を冠する曲が収録されたのもある程度必然的に思えてくる。次回はそこらへんの話からしていきますか。