無意識日記々

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熊泡週間第弐陣

さて今週は「Kuma Power Hour with Utada Hikaru」ウィーク、即ち熊泡週間なので、とりあえず第1回の流れを振り返っておこう。

一応CMが入ったが、あの感覚からすると単なる尺合わせかな? もしかしたら第2回以降はなくなるかもしれない。それ以外は、何の協賛も提供も感じられない、つまりスポンサーフリーな芸風の番組だったように感じられる。一応梶さんも宣伝はしていたが、EMIもあの様子だと殆ど内容にはタッチしていなさそうだった。

結局、"宇多田ヒカル"というブランド・ネームの広告宣伝という機能は殆どなく、本当にアーティストによる音楽番組が始まった、という感じ。その意味では、BGMやジングルや構成、選曲・曲順・コメントといった仕事が強調されていて、ラジオでの役割はパーソナリティというよりディスク・ジョッキー、DJ宇多田ヒカルとしての登場だったように思われる。

それと連動して、なのか単に年齢によるものなのか、はたまた部屋で1人で録音するというシチュエーションがそうさせたのか、ヒカルの喋りは終始落ち着いたトーンで、そりゃ一発目のBGMにジョン・コルトレーン持ってくるわな、という感じ。あたしゃ彼の曲だと気づかなかったが。もっと狂乱な曲とかあるし…。


以上の事から、トレビアン・ボヘミアンのノリを期待していた向きにはやや肩透かし、物足りない感触が残ったかもしれない。何しろあの番組はオープニングから謎ハイテンション、お便りもバンバン紹介するノリのいい番組だった。勿論曲もタップリ紹介していたけれど、先程の言い方をすれば「パーソナリティ・宇多田ヒカル」の番組だった。ヒカルのパーソナルな魅力を全面に押し出した雰囲気であったのだ。

翻って、この「DJ-宇多田ヒカル」による(と書くのすら憚られる位、どちらかといえば"ディスクジョッキー"の時代にまで遡った方がいい位に古典的なスタイルでの)「Kuma Power Hour」は、"宇多田ヒカルの好きな音楽"によって番組が構成されている。トレボヘが"宇多田ヒカルを好きな人の為の"番組だった事と比較すると、随分趣が異なるのは当然であろう。

第1回は同時間帯のRadiko占拠率或いは占有率が3分の1を超えていたのだという。チャンネル数が10を越す中では際立った数字だったといえるが、明日の第2回はどうなっているか。恐らく記事にもしてもらえず我々はその数字を知る事すらないかもしれないが、一体全体今の時代にこの古風な芸風がどれだけ期待されているか、そして、第2回でその内容に変化があるのかないのか、あるのならどういう変化があるのか、まだまだ興味は尽きない所である。