無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

フェイクニュースがフェイスブックを蹂躙中?

宇多田ヒカルの豊胸疑惑が取り上げられて反響が大きいようだ…

…だなんていう風に話を短く書くから誤解が蔓延するんだな。くわばらくわばら。で、書いてる方も読んでる方もそうやって記憶が改ざんされていく。正確な記録は化石のように地層の深い底に押しのけられる。

どうしてこんな風になってしまっているのか。最近は“フェイク・ニュース”というパワー・ワードが取り沙汰されている。米大統領選で、Facebookでバズった記事ランキングを集計したら上位が軒並みフェイク・ニュースばかりだったという話。これ自体がフェイク・ニュースかもしれないが、「そうだろうなぁ」という感想しか出てこない。

昔からWebには嘘記事が氾濫していてそれ自体は特に目新しくはない。昨今の特徴は、上述の通り、そちらの方が視野面積を占める割合が多くなった点にある。

原因は幾らでも考えられるだろうが、私が思ういちばんの原因は、皆が他人の噂話ばかりするようになったからだろう。

最初Webは自己発信が主流だった。今までアピールできなかった自分をアピールできる。しがらみやら不便やらを乗り越えて。今でもそれは変わらないが、スマートフォン世代になって圧倒的に受け身な人間の割合が増えた。キーボードを備えたパソコンに較べてスマートフォンは圧倒的に発信が面倒くさいし、やる意味も薄い。

そうなると何が起きるか。他人の書いた事を受けて流すだけの行為が蔓延する。自分の話ではないので、当然真実かどうかはわからない。元々それはテレビや新聞でも同じだったのだが、当たり前の話彼らのリテラシーは一般人より遥かに高いので嘘記事ばかりを垂れ流すような真似は戦前戦中を除き皆無に等しかった。一般人にはそんなのは望むべくもない。

つまり、無責任な一般人のまとめた記事を無責任な一般人が拡散する現象の事を「フェイク・ニュース」と呼んでいる、のが真実なのだが、この事実が拡散される可能性は皆無に等しい。なぜなら、この真実は一般人である読者一人々々にとって「自分の話」だからだ。自分自身について言及された、しかも"不都合な"真実を拡散する動機はない。無責任な拡散は、それが自分について書かれていないからこそ行われる。身につまされる真実に拡散圧力は働かない。フェイクニュースが上位に来る本当の理由はこれなのだ。

しかし、本来なら自己表現の場である筈のフェイスブックフェイクニュースがバズるのも不思議な話である。多分、そこに表現されている大半が嘘の自分だからなのだろう、とフェイスブックに無縁な私が呟いても説得力はないな。とまれ、他人の経験や感情についての記事を受けて流しているうちはフェイクニュースはなくならない。何を読んでも総て自分の実感と思考を通じて再構成する人間が多数派にならなければ、Webが健全になる事はないだろう。つまりそれは絶望的な訳だが、しかし、新しい世代には新しい世代の理屈がある。旧世代は黙っていた方がいいのかもしれない。ジジィはのんびり眺めておく事に致しますよ。