無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

This is Love ,,, for i_

なんだ、スコットランド独立しないのか。つまんないの。

いや、本当はそう思ってはいないのだが、どうしてもこう書き出してみたくなっての。他意はない。

得票率84%強、賛成45%反対55%、160万vs200万という結果だった。政治なので多数決で決めた方に従うのがルールだが、これだけ沢山の人たちが独立に賛成していたのだなぁという驚きと、今後の舵取りを想像しての心配と、両方の感情がわきあがる。いずれにせよ自治とは基礎だ。どこまでが"自"なのかという問題である。概ね平和的に話が前に進んだのなら、よかった。

ウクライナ/クリミアの問題も、こんな感じで平和的に、とはいかなかったのか。幾らかの識者は今度ばかりは西側の旗色が悪いと言っているし、何も言える事もない。興味の有る無しの前に、世界地図を広げた時にクリミアの位置を指で指し示せない人間が何か言える筈もない。

ガザ地区に至っては…いやこの日記は国際問題を論じる場所じゃない。国際問題、なんて言っているが現地の人たちと交流がある訳でもなく、テレビや新聞が取材して送ってくれるニュース映像と文字と写真の記事が総てだ。それについて論じるといっても限界があるし、何より、私に関係がない。

無関心は罪、という風に昔のヒカルならば言うだろうが、今はどうなのかな。人は、どうやって親しくなるかよりどうやって距離をとるかの方が難しい。とりすぎると無知になり不安と恐怖に苛まれるし、誰かと親しくなり過ぎるというのはどこかに敵を作る事にもなる。エルサレム付近がややこしい事になっているのは誰かが悪者だからではない。皆それぞれに言い分があって、何かを主張している。誰が正しい事を言っているかわからないし興味もないし何より武力で解決したがる人間全員に共感が出来ない。でも、もし自分が同じ立場だったら同じように振る舞うかもしれない、とは思う。その場に居て、人間関係に絡めとられて、その上で出来る事なんてほんのちょびっとしかない。虚しい。

だから、同じ立場に居ない以上無責任な感想を持っていようと思う。同感を極めれば本人になってしまう。出来ればどこまでも他人でありたい。いつのまにか他人事になっていく事が、悲しいかな争いを収束させる唯一の方法だ。「それ俺らの世代関係ないからなぁ」と被害を受けた方が言い出さない限りどこまでも報復は続く。他人事ならそう思えるだろうが、自分の大好きな祖父母や親兄弟が被害者であれば無関係だなんて思えない。争いが世代を超えて続くのは、上の世代を敬い、愛しているからだ。それがなくなれば争いは途絶えるだろう。しかし、そんな事が本当にあるかといえば、エルサレムの事を思えばそれは無理なのだろうなぁと推測がつく。前の世代に関心もなく愛情も尊敬もなければ「もうやめようよ」と言えるかもしれないが、明らかに人として大切なものを失っている気がする。その社会は崩壊或いは衰退するだろう。

私の思い描く愛とはそういうものだ。911で家族を失ったアメリカ人が戦争を仕掛けたくなる気持ちは痛い程よくわかる。しかし、それに乗っかった他のアメリカ人たちは何だったのだろうか。あなたたちの家族は殺されてはいない。あなたたちは実際には悲しんでいないではないか。同胞とか愛国心とか、「それは我が事と同じ事」と共感する能力、本来人間にとって最も魅力的な能力だが、こういう風に機能するとこうなる。これがもし他人事だったなら、と未だに思わずに居られない。どちらが本当に残酷なのか、それはもうかなりわからない。何かした方がいいのかもしれないし、何もしなかった方がよかったかもしれない。国家があり、国民性があり、国としてそういう選択をした。ただそれだけの事だし、海の向こうの話だから私には関係ないし、口を出す筋合いもないし、それについてはたらきかけたいとも思わない。ただ、なんだろう、ただ、生きる事が闘争だと言うのなら、人間は増えすぎているし、力が強くなり過ぎている。まるごとごっそり減りかねない。人類が増えよ
うが減ろうが最終的には自分が生き残るか死ぬかにしか関心がなくなるのだが、要するにそういう思考に追い込まれていく全体の流れが嫌いなのだ。それが私の愛の形なんだと思う。愛に対する嫌悪感と無関心。なるほど、最後に「気持ち悪い」と吐き捨てたくなる気持ちもよくわかるよ。アスカの話。