無意識日記々

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新しい快感原則の模索中なんです

『Fantome』の特徴として、アレンジがスレッカラシな点が挙げられる。どういう事かというと、メロディーのフックを素直に盛り上げるような音を余り配置していないのだ。

代表的なのは『道』と『荒野の狼』で、アップテンポを駆け抜ける切ないメロディーの畳み掛けはもう宇多田ヒカルの十八番、その手腕は健在どころか益々強化されている。特に『荒野の狼』は凄い。何が凄いって「サビのメロディー」として認識されるべきパートの尺が過去最高に、他の曲と較べてもダントツで長いのだ。

サビのメロディーをこれでもかと畳み掛ける時のヒカルの迫力は凄い。例を挙げるなら『光』と『Apple And Cinnamon』だろう。『君という光が私の』のくだりでこちらはもう絶頂に達しているのにそこから更に『もっと話そうよ目前の』ときて「ここからまだ気持ちよくなれというの!?」という気分にならされる。いやもうその効果と言ったら。アプシナも一通りサビが進んだと思ったらそこから『I can't believe that...』とジェットコースターのようなフックラインが待ち受けている。ここまで来ると最早快感に翻弄されている感じ。気持ちよすぎて目眩を催すほどだ。歩きながら聴く時はいつも交通事故に遭わないか心配になる。

『荒野の狼』もその系譜のメロディーだが、サビで切なさの塊魂をビシバシ決めながら『首輪っ…』と切り込んできてもうひとフック差し込んでくる展開が印象的なのだが、いまひとつ落差が足りないというか、ダイナミックに響かない。しかしこれは、メロディーのせいではないのだ諸君。メロディー自体は、過去最高レベルに巧みに構成されている。最後のサビ(と私が認識しているパート)は3分08秒から4分14秒まで、1分以上も続く。バラードでもないアップテンポの曲でこれだけの尺をテンション下げずに、いや寧ろターボで上げていくメロディーを構成するのは並大抵の事ではない。まるで無駄のない配置でここまで来るのは至難の技だ。

ただ、そのサビの始まりの直前に煽ってくるストリングスの“後が続かない”のである。妙に淡々としたリズム・セクションと熱く切ないヒカルの歌声というコントラストのまま特に変化もなく楽曲が進むので、『首輪繋がれて』から続くサビ後半のメロディーのインパクトを打ち消してしまっている。逆にいえば、ここをありきたりな上下動の激しいアレンジに差し替える事で『荒野の狼』は劇的なまでにドラマティックな楽曲に生まれ変わる事が出来る。断言してもよい。

しかし、それをしないからこその『Fantome』なのだ。もし『荒野の狼』をその『劇的なまでにドラマティックな曲』にしたらそれこそ『Prisoner Of Love』を彷彿とさせる宇多田ヒカルの真骨頂たる超名曲、と呼ばれていただろう。

今ヒカルは、もうその山に登っていないのだ。『Show Me Love』で歌われたように、その登りきった山を一旦降りて、今度はもっと高い頂をもつ山を登り始めているのである。『桜流し』から始まる『Fantome』の物語は、その登山全体の序章に過ぎない。我々ファンは、長い目で見守るのがよいだろう。