無意識日記々

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いちいち地味々々うるさいよ(笑)

エルミタージュ美術館展目下開催中という事で、ラジオでもCMが流れてきたりする。きっとテレビでもスポットを打っているだろう。その度に、当然の事ながら、『人魚』が流れる。訳もなく気恥ずかしい。学校で兄弟姉妹とかち合った時みたいな感覚だろうか。

この曲は、ヒカルが「曲作りに復帰した」記念すべき一曲目だ。話がややこしいが、人間活動を経て、というタイミングではなく、2013年8月22日からなんとかいくらか立ち直って、だ。この曲が作られなければ、ヒカルは未だに復帰していないかもしれない、それどころか、二度と復帰しようとしなかったのかもしれない、という歴史上極めて重要なポジションに位置する楽曲である。

そういうバック・ストーリーを排してこの曲の感想を言えば「地味だ」の一言に尽きる。椎名林檎との『二時間だけのバカンス』となりくんとの『ともだち』の間に挟まれた、という曲順もまた地味さに拍車をかける。ハザマに埋もれている感じがする。

私の場合、こういう曲調、即ちハープをフィーチャーしたアイリッシュ・トラッド・フォーク風(あクマで"風"だ。そのものではない。)は小さい頃から大変な好みなので、その点に関してネガティブなイメージはない。ただ、そういう人間の耳にすら地味に響いているのだからそもそもこういう曲調を「田舎臭くて退屈」と感じる人からすれば、あれだ、飛ばす人結構多いんじゃね? 流石にそれはちょっと仕方ない気がする。こちらとしても「こんな御伽噺みたいな素敵な曲を…っ!」という具合に反論しづらい。あんまりポップじゃないんだな。ある意味、この『Fantome』のアレンジし過ぎない、カラフルよりモノトーンをうまく使う作風だったからこそハマったのかもしれない。極彩色の『ULTRA BLUE』とかなんかに収録されたひにゃあ、この曲だけ浮いちゃうというか…いや寧ろ逆だな、この曲だけ沈んじゃって浮かんでこない、かもな。まるで人魚が海の底に帰ってもう二度と戻ってこないかのように…。

やっぱり、そういう風に地味に感じて飛ばしてしまうような人たち(なお、私個人は地味に感じてはいてもこの曲は飛ばさない)にとっては、「宇多田ヒカル曲作り復帰記念曲」というバック・グラウンド・ストーリーを念頭に置いて聴いてもらった方が、より楽しめる事になるだろうて。

いつも魔法のように名曲を生み出すヒカルが、こういう地味な楽曲を"とっかかり"にしてアルバムに収録されている数々の名曲たちを生み出した、と考えると、それこそまるで母親のような存在感が出てくるんじゃないかと思うのだ。総てはここから再び始まった。その感慨を噛み締める為にこうやってアルバムに収録されていると思えれば、この曲に対する愛情、愛着みたいなものが貴方の心に芽生えてきや、しませんか?