無意識日記々

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Amazon Unlimited

Amazonから通知が来てて、Unlimited、4000万曲が聴き放題のサービスを月額980円(プレミア780円)で始めるそうな。ふーん。

一昔前に較べれば「4000万曲聴き放題」は夢のような状況だが、今のニーズは果たしてそこにあるのだろうか。聴き放題は最早前提に過ぎず、そこからどう踏み出すかがサービスに問われる時期だろう。

最早前提に過ぎない、というのは言い過ぎかもしれないが、計算機と情報網(コンピューターとインターネットね)が発達した現代では、聴き放題は技術的になんら難しい話ではない。レコードの時代ならとんでもない敷地面積に大量にアナログレコードを索引順に並べて…音を取り揃えてもその土地の近くに居る人たちしか利用できないし、そんなものを作る動機も手間もなかった。

今なら、ちょっと大きめのハードディスクなり何なりの記憶装置にデータを全部入れてそのデータをクラウドに公開するだけでいい。依然、ハードディスクの物理的サイズとサーバーコンピューターの強度というフィジカルな課題は残るが、各配信サイトは実際にこれをやっている訳で。有料だから皆手を出せないだけだ。

アナログレコード時代なら、アナログレコードというフィジカルを製造する為のお金が発生していたが、今は、前から書いている通り、「アクセスする権利」を販売しているだけである。物理的に、あらゆる楽曲を聴き放題にするだけの技術と設備を既に人類は持っている。寧ろ、そこに敢えて制限障壁を設けている、とすら言える。聴き放題自体はもういつでも可能なのだ。

「音楽をタダで配れ」と無茶を言うつもりはない。そこの話ではなくて、問題が物理的・設備的な問題ではもうない点を確認したかっただけである。ゲートを解放すれば、もういつでも「聴き放題の夢の国」は現れますよ、と。

そう、料金の話はいい。問題は、聴き放題がそんなに楽しいのかという点だ。確かに昔は「夢の」という枕詞が相応しい概念だったが、いざ何でも聴ける状態になってみると、果たして何をどうしたらいいのかと戸惑うばかりだ。前から聴いてみたいと思っていた音源を聴いてみよう…というのは、例えば私の場合殆ど無い。大人なので聴いてみたいと思った時点で既にポチっている。ダウンロードも通販も、何だったら駅前にTSUTAYAでレンタルしてもいい、聴きたきゃもう聴いている。ただ、現実には、そこまで時間なんてないのだ。頭の中には「機会があれば聴いてみたいもの」リストがわんさか順番待ちしているが、気がついたら、そうなのだ、「いや別に聴かなくてもいいのではないか?」というものが大半になっている。

これが聴き放題になっても多分状況は変わらない。通販やレンタルだったものがダウンロードに切り替わるだけだし、歌詞対訳解説ジャケットなどが欲しいケースは相変わらずCDを買うだろう。

ではどういう問題意識を持つべきなのか?という話からまた次回。