無意識日記々

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無料文化で真に暴虐だったのは?

インターネットが普及して「無料文化」を謳って久しい。特に音楽業界は「人々が音楽を無料で手に入れるのが当たり前になってしまった」と嘆く事頻り。だがちょっと待て。音楽が無料で手に入るようになったのはインターネットが初めてではないだろ。

ラジオ受信機が普及しラジオ放送網が整備されたのは20世紀初頭の事だ。19世紀後半に蓄音機が発明され人々はレコードを購入して家に居ながらにして音楽を楽しめるようになった。しかしそこにラジオが登場したのだ。ラジオ受信機を売る為に、スポンサーを募って次々と音楽を放送する。受信機さえ買ってしまえば、後は幾らでも無料で音楽を聴く事ができるラジオの登場でレコード業界は壊滅的な打撃を受けた。本当かどうか知らないが最盛期には前年比96%ダウンにまで落ち込んだらしい。今のインターネットの比ではない。「無料娯楽文化」の元祖にして最大はラジオなのだ。

勿論、ここから半世紀近く後に「映画とテレビ」でも似たような事が起こったのはご想像の通り。同じく、一旦受信機を買ってしまえば様々な映像コンテンツ(音楽番組も含まれる)を無料で観られるのだから以下同文。

無料文化としての暴虐性はこのラジオとテレビが突出している。あとはテープレコーダーとビデオデッキが普及してしまえば、誰がわざわざレコードを買ったり映画を観に行ったりするものですか…とはならなかったのは皆さんご存知の通り。音楽ソフトはレコードからCDに、映像ソフトはビデオテープからDVDに変わったりもしたが、ラジオが普及してもCDは売れまくったし、テレビが95%以上の家庭に普及しても人々は映画を観に行くのを止めなかった。そう、幾ら無料でコンテンツにアクセスできたとしても「そういう問題じゃない」のである。

なので、音楽業界によるインターネットにおける無料文化への嘆き節は、厳しい言い方をすればただの負け惜しみだ。ラジオとテレビを散々利用しておいて今更である。

当然、100年前とは状況が違うのだから同じようにはいかない。しかし、レコード業界の危機という点では20世紀の方が遥かに絶望的だった筈だ。今の方が打開策を見いだし易い、だろう。

まずひとつ、特にこの日本では「90年代のCDバブル」の余韻が20年経った今でも業界にくすぶっているのが問題だろう。今のCD売上は、たとえ秋元康の一派を除いたとしても、70年代や80年代の売上とそんなに変わらない。元に戻っただけともいえる状況だ。なのに「あの頃の夢をもう一度」とばかりに20年も前の隆盛に固執するから嘆き節しか出て来ない。流石にそろそろ目を覚ましてもいいかもしれない。

実際、宇多田ヒカルを応援している(?)身としては、20年前と較べてCDの売上が10分の1になったからといって嘆こうという気は起こらない。未だに音楽が目当てでCDを買う層に対しては年間トップクラスの売上なのだから「変わらず日本音楽市場の頂点付近に君臨している存在」として認知しといて何の問題もない。バブルが弾けただけで、今の数字が正常なのだ。それを認めた上で、こんなに売れる作品を作れるだなんて異常だ、尋常じゃない、と言っているに過ぎない。

ダウンロード販売や定額聴き放題サービスがどういう浸透をみせるかは、特にこの日本では考えづらい。昔の栄華を忘れられない世代がレコード業界から去った後に初めてフラットに評価できるのではないか。普通に、皆が求めやすい価格で便利に有用に音楽にアクセスできる環境が整うまで、もう暫くかかるだろう。前に書いた通り、著作権管理をそのままWebショップで扱う方法に帰着するのが自然な流れだが果たして後何十年かかるやら…?