無意識日記々

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地上波テレビへの依存度

CD売上が絶頂の90年代後半ですら、歌番組で高視聴率を獲得するのは至難の業だった。ダウンタウンとんねるずがMCを務めたのも、歌より彼らのトークの方が視聴率が取れたからだ。

ミリオンセラーが殆ど出なかった80年代以前の方が音楽番組の視聴率は高かった。これを、皆が歌をテレビで済ませていたからとみるべきかそれとも音楽番組が楽しかったからとみるべきかは意見が分かれるところだ。ただ、80年代音楽番組の象徴的番組だった「ザ・ベストテン」が終了したのも裏番組のバラエティーとんねるずのみなさんのおかげなんちゃら」に視聴率を奪われたのが大きかった。いやいやMCの久米宏が居なくなったのが大きいんじゃないのと言われそうだが、彼は「ニュース番組のバラエティー化」の象徴として「ニュース・ステーション」に引き抜かれた。大体、番組終了前後に黒柳徹子とんねるずに対して恨み節を吐いている。なので、私の印象としては80年代までの歌番組は、お笑いのバラエティー化とニュース・ワイドショーのバラエティー化が進む中で取り残され、90年代になんとかそこに"取り入る"ことでゴールデンタイムでの延命をはかった、というのが流れであったように思える。

60年代以降テレビは何十年と隆盛を極める訳だが、初期の番組を今見返してみるとそれは、ラジオ番組からの移行、舞台と映画とその役者を使ったドラマ、落語や漫才や歌などの演芸、スポーツ中継など、他の分野でのコンテンツをそのままテレビに持ってきたものも多かった。更にそこに加えて、アメリカ産の映画やドラマやバラエティー番組を輸入しつつ、その模倣の中から「テレビ・バラエティー」とでもいえる日本独自・テレビ独自のフォーマットが育てられ、90年代にそれが完成したという印象だ。テレビタレントなんていうカテゴリーもその流れの中で生まれていったのだろう。

そんな風に捉えると、実は歌や音楽というコンテンツは地上波テレビのコンテンツが成熟していく中で、いわば"取り残された"類のものであって、90年代後期ですらテレビの力は主ではなかった。影響力は大きくても、そこが主戦場でない限り本質的にバブルでしかなかったのである。紅白歌合戦の化け物視聴率がそれを錯覚させてきていたような気がしてならない。まぁこれはラジオ時代からのコンテンツなんですが。


そんな中、その90年代の"音楽バラエティー番組"の歴代最高視聴率を軒並み獲得していたのがヒカルだった。彼女への興味は、ほんの1、2年の間だけとはいえ、全盛期のダウンタウンとんねるずへの関心を上回っていたのだ。それをどうとるべきかは難しいところだが、藤圭子がブレイクしたのも、様々な"芸能人"がテレビに進出していく時代の出来事だった事を考えると、彼女の大ヒットもテレビと無関係ではなかったように推測される。まぁこれはどっちかわからない。

90年代に一応のフォーマットが完成し、それ以降の20年は安定期、或いは緩やかな衰退期に入っている地上波テレビだが、ヒカルが今までの活動スタンスで行く気ならまだまだお世話になるしかない。そんな中で、彼女が出演するに相応しい番組がゴールデンタイムに幾つあるのか、もう復帰が間近ということだからしばらくチェックしてみた方がいいのかもね。