無意識日記々

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円盤を買い一度も聴かぬ人も居る

『Fantome』のリリース時に好評だったのが「プレイパス」の導入だった。CDを買った人にスマホへのダウンロードパスワードを贈るこの制度、「パソコンの円盤ドライブでリッピングして取り込む」のができない人や面倒な人にとっては朗報だった。私なんぞはあんな謎文字列入力する神経使う位やったらとっととPCに取り込むわい、と思う人種なんだが今の子たちはそもそもPC持ってないし、持っててもディスクドライブがあるとは限らない。そりゃまぁプレイパス様々である。

時限性だったのが気に食わないが、次回もこのプレイパスは導入されるだろう。前面に押し出す位がちょうどいいかもしれない。

「アルバム」という単位はPop Musicの歴史の中では後発である。クラシックやジャズと異なり、一曲毎がラジオでヒットするか否かが生命線だったのだから。いつのまにか(大体ビートルズのせいと言われてますな)アルバム主体の産業になった感じで。アメリカではストリーミング時代に合わせアルバムという単位を解体しプレイリスト主体で新曲をリリースするのも珍しくなくなっている。

プレイリストというのは要はパーソナルカスタマイズドラジオだ。曲をローカルに保存できるのにラジオと呼ぶのは違和感があるが、日本のラジオもタイムフリーのお陰でライブラリ化している事を考えれば「似たようなもんだ」と強引に言いたくなる気持ちもわかって貰えるかな。もう違いはDJが喋るかどうかだ。音声合成も含めて、これも垣根がなくなっていくだろう。

という訳で、ややこしい。

やはり、「なんか色々あってややこしいからCD買っときゃ問題ないだろ」と考えるのがアラフォー以上の世代では最大多数派のままだろう。『Fantome』のミリオンのうち3分の2以上がCDだ。あれからまだ2年。そうそう購買態度は変わるまい。

しかし、変わる時は変わるものだ。縦長シングルを出さなくなったのはいつから? VHSを出さなくなったのはいつから? 着うたをリリースしなくなったのはいつから? マキシCDシングルを出さなくなったのはいつから? 総て皆「いつのまにか」という感じで消えている。『桜流し』のDVDシングルをリリースできたのなんて奇跡に近かったのだ。

どのメディアも永遠に不変存在する訳ではない。「プレイパス」だっていつまで続くやら。その変化についていけないせいでヒカルの歌を買わなくなる人が出ない様な工夫が欲しくなる所だ。