無意識日記々

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『初恋』の歌詞構成7

『初恋』最大のクライマックスは『誰も知らない』から訪れる一瞬の静寂である。あの瞬間に「歴史的名曲確定」と確信した人は多いだろう。

そして勿論、そこからの構成がより素晴らしい。まさに築き上げたうず高い防波堤が決壊したかのように徐々に怒涛の展開を見せていく。

サビのメロディーはそのままに、静寂を静かに破るように言葉が紡がれていく。

『風に吹かれ震える梢が陽の射す方へと伸びていくわ』

ここに来て初めて、「風景」が描かれる。ここまでのこの歌の歌詞は主人公の物理的な肉体の変化(胸、涙、足)と心理的思想的な描写で占められていただけに、静寂からのこの変化は劇的である。しかし、唐突ではない。

というのも、ここに風景描写を入れる為の伏線がしっかりと張られていたからだ。

その前段のサビで『二度と訪れない季節が終わりを告げようとしていた』という一節があった事を想起。ここの解説で、ある一定の時間帯を指し示す言葉なら何でもいい筈なのに敢えて『季節』をチョイスした理由がある事をほのめかしておいた。その理由というのがここの『風に吹かれ…』の風景描写である。

「季節」という言葉はそれ自体は確かに"ある時間帯"を指す言葉だ。春なら3〜5月、という風に。しかしそれと共にこの言葉は強い情景喚起力をもつ言葉でもある。人は春ときけば桜を思い浮かべ冬ときけば一面の銀世界を思い浮かべる。季節の語は常に、ある時期を風景と結びつけて想像させる。つまり、2番のサビにおいてヒカルは、『季節』という言葉を用いてこのあとに風景の描写を入れる為の布石を打ったのだ。

ここで語が「季節」という非限定的なものであった事も効果を発揮している。ここで「春」とか「夏」とか「秋」とか「冬」とか具体的な言葉を使っていたらその時点で聴き手の頭の中には何らかの具体的な風景で占められてしまってそこから歌詞による描写を差し挟む余裕が減じてしまう。しかし、「季節」であれば、そこに風景という(この歌の中にはそこまで無かった)概念への下準備は出来こそすれ、まだ聴き手の中に何らかの具体的な景色は現れない。

ここの微妙な匙加減なのだ。気遣いと言い換えてもいい。ヒカルは、やんわりと『風に吹かれ震える梢…』という風景が自然と聴き手の中に生まれるようになるたけ気づかれないように"心の下地を"形作っていたのだ。歌詞において、直接的な表現で唸らせるものは多いが、ここまで伏線の為の(直接的ではない)言葉の選び方に神経を使っている例は極めて少ないだろう。『初恋』の歌詞は斯様に隅々までその"構成"を考え抜いて言葉が配置されている。その巧さはまさに美術品とすら呼んで差し支えないだろう。