無意識日記々

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#裸婦抱く 最高の瞬間

『うるさいほどに高鳴る胸が
 柄にもなく竦む足が今……』

ヒカルの声がのっけからうわずる。明らかに気合いが入っている。不安定ギリギリの所をタイトロープを渡るように声をコントロールして歌い上げていく。一期一会のライブならではのアプローチだ。

この曲こそが今のヒカルの発声が昔と異なることを最も端的に告げる曲である。ふくよかでたおやかで優しさと切なさに溢れ空間を圧倒すその歌声がアカペラで始まり弦を引き連れ初恋の瞬間を捉え綴った歌詞を淀みなく力強く再現していく。強い。兎に角強い。あの今にも消え入りそうなビブラートが得意技だった女の子と同一人物とは俄に信じられない程の大迫力。喋ったら若い頃の一時期よりさらに幼さと拙さを伝える人が、いざ歌うとなると斯様に積み重ねた年数に相応しい貫禄を見せつけるのか。何度でも言う。圧倒的だった本当に。

その崩壊ギリギリまでパワーを込めたヒカルの歌唱につられて弦楽隊の演奏も激しさを増していく。スタジオ・バージョンと違うフレーズを弾いている訳ではないのにみるからにダイナミズムが違う。人間、何人か集まって気合いが集積していくとここまでの音圧を生み出せるものなのか。PAの力を借りているとはいえまるでフルオーケストラのような大胆な抑揚が楽曲と歌唱に更なる力を与えていく。曲を引っ張るヒカルの歌唱も新たな力を得て激しさを増していく。その局面に来ても尚、暴れ馬のような自らの声量を制御し切ってみせたのは圧巻だった。

楽曲が山場を迎える。

『欲しいものが
 手の届くとこに見える
 追わずにいられるわけがない
 正しいのかなんて本当は
 誰も知らない…』

ここでの歌唱の極み入り方と弦楽隊の全力演奏はもう筆舌に尽くし難く会場を感動と茫然の坩堝に巻き込み切っていたのだが、ここで演奏と歌唱がずわわんっ!と一切止まる。スタジオ・バージョンでもこの場所でブレイクが入るのだが、ここではそれよりも遙かに長い秒数を光と音の暗闇に費やした。

自信、があったのだヒカルには。それだけの秒数静寂を保ったとしても聴衆の集中力を惹き付け続ける事への。事実、私の席の周りだけだったのかもわからないが、誰一人として物音を立てなかった。喧騒に溢れた現代社会に於いて、日本の都市のど真ん中で、17000人とも言われる人数が数秒間一切の物音も立てずに一点を集中して見つめてるなんて事があるだろうか。あったのだ。ここまでに至るパフォーマンスの凄みが作り上げた緻密で隙の無い聴衆の集中力が今ここに結実したのである。ヒカルにはそれだけのものを聴かせた自信と自負があった。あの秒数は、長ければ長いほど、ヒカルが聴衆を魅了したと確信した度合いの深さを表していた。それを静寂の中総ての人間が実感していたのだ。

『風に吹かれ震える梢が
 陽の射す方へと伸びていくわ』

止まっていた時間が再び動き出すようにヒカルが歌い出していく。すっかり魅了され尽くした聴衆が過去に感じたことも無い大きな感動を噛み締めていく。この夜最高のパフォーマンスは万雷の拍手の中無事終焉を迎えたのだった。

それにしても。前半からストリングスだキーボードソロだマッシュアップアコースティックギター日本語ラップだとありとあらゆる音を尽くして盛り立ててきた2時間の中で、音楽的に最高潮に達した瞬間が無音の静寂だったとは。溜息しか出なかったよ。間違いなく今まで生きてきた中で最も感動的な静寂だった。こればっかりはライブDVDで再生しても感覚が再現出来ないかもしれないな。宇多田ヒカル、あらためて、恐るべしです。